「ハラスメント」を理由とした離職は年間約87万人(2021年、パーソル総合研究所調査)とも言われるなか、会社組織から政界まで、日本社会にはびこる「他者に屈辱感を与える」病理の本質とは何か? 『街場の成熟論』が話題の思想家・内田樹が斬る。

写真:©AFLO

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「屈辱感を与える」暴力性に対する警戒心が足りない社会

――最近でも、自見英子・万博担当相のパワハラや三宅伸吾・防衛政務官のセクハラ報道など、政治家の不祥事が相次いでいます。某パワハラ大臣の“対策マニュアル”の流出も近年話題になっていましたが、なぜこうした人権侵害が権力者のあいだでたびたび起こっているのでしょうか。

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内田 「人に屈辱感を与えることをおのれの『得点』にカウントする習慣が日本社会に瀰漫した」ということだと思います。

 キーワードは「屈辱感」です。ご質問は「人権侵害」についてですけれども、実際に例示として挙げられていたのは、不当逮捕とか令状なしの拘禁とか拷問とかいう人間の身体や市民的自由に対する侵害ではありません(さいわい、日本はまだそこまで未開国になっていません)。そうではなく、どれも相手に不要の屈辱感を与える行為です。

 見た目には身体に傷がついているわけではないし、何か財貨を奪われたわけでもないし、市民的自由が侵害されたわけではない。でも、あきらかに自尊感情を損なわれ、生きる意欲を奪われている。人によってはそれが原因で精神的に病み、職場に行けなくなり、自殺する人さえいます。

 今の日本社会は「屈辱感を与える」というふるまいが含むシリアスな暴力性に対する警戒心が足りないと僕は思います。

内田樹氏

 メディアに登場するコメンテイターたちの中には、あらゆる討論で「相手に屈辱感を与えることだけ」を目標にして発言する人たちがいます(誰とはいいませんが、わかりますよね)。この人たちの目標は「議論に勝つ」ことではありません。公開の席で「議論に敗けた」人を屈辱感のうちに追い込むことです。議論の中味なんか、ある意味どうでもいいのです。だから、このタイプの人たちは平気で食言します。虚偽を述べることも厭わない。別に面と向かっている相手と知的誠実さを競っているわけではないからです。彼らは自分に反対する人間には必ず屈辱感を与えるという断固たる決意によって論争に勝ち抜き、「メディアの寵児」となっている。

 そういうことが可能になったのは、「他人に与えた屈辱感・敗北感」は与えた側の「得点」になるという思想が広く日本社会に根づいたからです。これがあらゆる「ハラスメント」の生まれる土壌をかたちづくっています。

 政治家たちが「人に屈辱感を与えるテクニック」に長じるようになったのも、このような風潮のせいです。