日本社会は外来の概念であっても、理解できて、日常の風景の中にあって、具体的に「これ」と指し示すことができるようになると、それを「カタカナ四文字の略語」にします。必ず、そうします。パソコン、ワープロ、デジカメから始まって、コンサル、ポリコレ、パワハラ、セクハラに至るまで。でも、フェイルセーフとリスクヘッジとレジリエンスについてはかたくなにこれを翻訳することも略語を作ることも日本人は拒んでいる。そんなものは日本社会にはなかったし、今もないし、これからもあってはならないと無意識のうちに日本の組織人たちが信じているからです。
トップが最初に命じたことは何があっても(それが明らかに間違いであることがわかっても)完遂されねばならない。日本の組織人がそう信じています。そうやって東京五輪も、リニア新幹線も、大阪万博も、始めた以上は続けなければならないということになった。途中で「これ、意味ないですよ」というかたちで遮られることを上意下達組織は決して許さない。そうやって破滅的な失敗に向かって雪崩れ込んでゆく……たぶん日本はそういうふうに滅びてゆくと思います。
パワハラを生み出しやすい組織とはどんなものかというご質問でした。「今の日本社会そのもの」がそうです、というのが僕の答えです。
暴力性・攻撃性を抑制するための唯一の方法
――ハラスメントのような暴力に抗する道筋とはなんでしょうか。
内田 暴力性・攻撃性はあらゆる人間に内在しています(程度差はありますけれど)。そして抑圧するといずれどこかで「症状として回帰」します。多くの場合は、物理的な暴力としてより自分より下位の人間に不要の屈辱感を与えるというかたちで噴出します。家庭でも、学校でも、職場でもそうです。あらゆる「ハラスメント」はそういう意味で抑圧された暴力がもたらす症状です。ハラスメントは「政治的に正しくない暴力」(いきなり人を殴りつけるとか、銃で撃つとか、刀で斬りかかるとか)が禁圧された「文明化された社会」において、暴力性と攻撃性が行き場を失って漏洩しているものだと思います。
「ハラスメント」は「猟犬を駆り立てる叫び」を意味する古仏語が語源です。そこから「猟犬が獲物をどこまでも追い続けて、息も絶え絶えな状態にすること」を意味する動詞harasser ができました。harassmentはその名詞形です。長い距離、長い時間、猟犬に駆り立てられて息も絶え絶えになった獲物が感じる絶望的な疲労感のことを「ハラスメント」と言うのです。
ですから、「ハラスメント」を単なる「いやがらせ」と訳すのは言葉があまりに足りません。生きる意欲が失われるほどの絶望的な疲労感を長期にわたって、執拗に、繰り返し与えることが「ハラスメント」だからです。
今の日本社会では、抑圧された暴力はしばしば「ハラスメント」という病的なかたちを迂回して発動している。僕にはそのように見えます。「獲物」の生きる力を損なうという点については、harasser は実は「殺す」とそれほど変わるわけではないのです。