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「私は根っからの勉強嫌いで、教科書なんてほとんど開いたことがありませんでした。ただ、バレーボールだけは熱心に取り組んでいて、母はそれを応援してくれていたんです。高校進学が見えてきた頃、末期癌だった母は病を押して、校長室で私のために土下座までして進路を確保してくれました」

 母親の懇願が奏効し、網野氏は全国に名が轟くバレーボールの名門校への推薦入学を果たす。母親は高校生になった彼女の姿を見ることはできなかったが、厳しいしごきに食らいつくことで、網野氏は母の遺志に応えた。

「未だに部活の夢を見てうなされますし、指導者はかなり厳しかったと思います。はたく、ボールをぶつける、怒鳴り散らすは当たり前。毎日つらくて辞めたいと思いながら続けました。ただ、感謝している部分も確かにあって……そのあたりを言葉にするのは非常に難しいんですが」

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網野氏の背中

誰も信頼できなくなった、ある事件

 一方で網野氏は、高校時代を「もっとも暗くて、死にたいと思って過ごした時期」とも振り返る。その理由は学校以外のところにあった。

「父とはそりが合わなくて、家庭にいるのが苦痛でした。もともと家庭を顧みない人でしたから、母の死後、より疎遠になりました。学校の友人の自宅に泊めてもらって、そこから登校する日も多かったと思います」

 さらに別方向からの“事件”が網野氏の精神に追い打ちをかける。

「母を失ってから我が家に出入りするようになった、年上の男性がいました。なにかと親身になってくれる人で、思い返すと、母が抜けてしまった私たち家族の精神的支柱になってくれていた部分があります。

 やがて姉がその方と交際することになり、結婚が間近に迫ったころ、私は彼の自宅に呼び出されました。当然姉もいるのだろうと思っていましたが、家には彼しかいませんでした。そこで、私は彼から執拗に性的ないたずらをされたのです」

 精神的ショックから網野氏はなかなか切り出せずにいたものの、始終を察した姉は結婚を中止したという。この一件以降、網野氏の心の奥底には「誰も信頼できない」という思いが沈殿することになった。