被害者なのにタトゥーのせいで…
「ある時期、息子が学校でいじめに遭って悩んでいる時期がありました。いじめというよりは、集団で殴る、わざと睾丸を狙って蹴るなどの、犯罪と呼んで差し支えのないものです。
私たちと加害者の保護者で事実認識に食い違いがあり、校長や学年主任まで巻き込んだ話し合いが行われました。相手の保護者は『あなたはこんな入れ墨を入れて、シングルマザーで。親子は似るので、そちら様にも問題があるのではないでしょうか。むしろ私たちが被害者なんです』と捲し立てていました。
担任の先生は日頃の息子の様子を見てくれている方で、また私が保護者として熱心に教育に取り組んでいることも理解してくれていたので、相手方の主張は退けられました。外見によって、被害者であるにもかかわらず謝罪もされず、悪者のような扱いをされることがただ悲しく感じました」
除去という選択肢も
さまざまな経験を経て、相川氏はタトゥーをこのように捉えている。
「自分ひとりで生きていく場合には、何ら支障はないでしょう。着たい服を着るように、どこに墨を入れても基本的には問題ないと思います。
ただ、結婚したり、あるいは母親になって社会的な関係性が新たに構築されるときには、間違いなく足枷になります。実際、私はタトゥーを消そうと思いました。今の私にとって最も大切なのは子どもで、私のタトゥーが原因で彼が不利益に扱われるのが心苦しかったからです。皮膚科のカウンセリングに行ったところ、100万円前後の費用がかかり、治療期間は数年間に及ぶと聞きました。
悩んだ結果、タトゥー除去にかかる費用や期間を、そのまま子育てのために使ったほうが賢明だなと私は判断しました。ただ、その人の職場環境や地域性などによって、除去という選択肢も大いにあると思います。タトゥーを入れるとき、安易に入れたわけではない私ですら、このような悩みにぶち当たるんです」
得も言われぬ葛藤に心がかき乱されるとき、自らの身体に消えない誓いを刻むことで、ふっと前向きになれる人もいる。だが、当人にとって深い意味合いを持つ印が、他人には威圧の象徴でしかなく、嫌悪の対象になることだってある。
誰もが“自分ごと”にしか関心がなく、他人をぱっと見の印象で篩にかける忙しない世の中では、その背景に手を伸ばして考えようとするゆとりは生まれない。もともと孤立を深め、墨を身体に纏うことで救われた人たちにとって、タトゥーが安寧を再び奪う呪詛にならないことを心から願う。