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 そこで、平和教育を積極的に行っていた中学校に進学し、渡邉英徳研究室が制作した「ヒロシマ・アーカイブ」(編集部注:被爆者の体験と想いを未来の地球に遺していくデジタルアーカイブ)と出会います。初めて見た時、洗練されたデザインにアートの要素を感じました。その後、実際に平和公園でアプリを使いながら歩いてみた際に「これを使う側ではなく、作る側になって、もっと進化させたい」と思い、被爆者の証言収録をする委員会に入りました。

原爆1ヶ月後の広島を歩くカップル

 そして高校1年生の夏、平和公園で濵井德三さんと偶然出会います。前日見た地元テレビ局のドキュメンタリー番組と濵井さんのお話の内容が似ていたので尋ねてみると、ご本人だったのです。

 この出会いが、私にとっての「記憶の解凍」プロジェクト(編集部注:モノクロ写真のカラー化と、写真提供者との対話で失われていた記憶の掘り起こしを進めるプロジェクト)の始まりです。

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白黒写真では思い出せなかった新たな記憶がよみがえる

 濵井さんの生家は中島地区で「濵井理髪館」を営んでいましたが、原爆投下によりご家族全員を失いました。疎開先に濵井さんが持参していた大切なアルバムを見せてもらうと、戦前のご家族とのしあわせな日常を写した貴重な白黒写真約250枚が収められていました。

 濵井さんとの出会いと前後するように、渡邉先生から教わったAIによる自動色付け技術。はじめてカラー化写真を見た時、白黒写真では過去の人々だったものが、まるで今を生きているように感じられました。そこで「ご家族をいつも近くに感じてほしい」という想いから、カラー化を始めました。

 
戦前、「濵井理髪館」の父 濵井德三さん提供

 カラー化写真をご覧になった濵井さんは、「家族がまだ生きているようだ」と喜ばれました。桜の名所・長寿園での花見の写真では、私たちと対話することで、「杉鉄砲でよく遊んだなあ」と、白黒写真では思い出せなかった新たな記憶がよみがえりました。

 その後も、濵井さんとの出会いの場に同席されていたヒロシマ・フィールドワーク実行委員会(編集部注:かつて平和記念公園一帯にあった町に住んでいた人たちから話を聞き、その足跡をたどるフィールドワークなどを行っている)の中川幹朗先生から、中島地区の元住民をご紹介いただいて、つながりが少しずつ拡がりながら活動が続いています。