数多くの犠牲者を出した太平洋戦争。その中に、日本兵として戦った、日本植民地下の台湾原住民もいる。
軍属・兵士として太平洋戦争に動員、南洋戦場に投入され悲惨なゲリラ戦を戦った台湾の原住民を中心とした部隊「高砂義勇隊」。彼らが見たその知られざる壮絶な戦場とは――。『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』(平凡社新書)より、一部を抜粋して転載する。
◆◆◆
大岡昇平『野火』(1952年)は、周知のとおりフィリピンのレイテ島において極限の食糧不足の中で、日本兵が日本兵を「猿」と呼び、射殺し、「人肉食」をした有様を小説にし、話題作となった(ただし、同小説では、高砂義勇隊には触れていない)。これは真実なのだろうか。事実ならば、どのような実態だったのか。
筆者はその点についてロシン・ユーラオ、ガヨ・ウープナ両氏に質問した。前者は直接の体験者であり、後者は元高砂義勇隊員からの伝聞である。
◆
「食べられる物といったら人間の肉くらいだ」
菊池:食糧が足りない時、人肉も食べたという話を聞いたのですが、本当ですか。
ロシン・ユーラオ:これは有名な話。……皆、腹を空かしていた。食物がない。食べられる物といったら人間の肉くらいだ。
菊池:戦死ではなく、「アメリカ人捕虜を殺して食べた」と聞いたことがあります。それは事実ですか。
ロシン・ユーラオ:すでに死んでる人間だけだよ。だけど、そうしたこともあったかもしれない。隊によって異なる。僕の隊ではなかった。
菊池:高砂義勇隊員が戦死した場合、どうなりますか。
ロシン・ユーラオ:高砂族の肉は食べないよ。なぜなら料理するのは高砂族だから、高砂族の隊員が死んだからといって、その肉は使わない。
……実は僕は1回だけ食べたことがある、日本兵に撃たれて死んだアメリカ兵の肉だった。当時、人間の肉くらいしか食べる物がなかった。……僕の友だちが人肉を持ってきたので、炊いて少しだけ食べたことがあるんだよ。美味しくない。