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77年、運命の夏

「これは人間の肉じゃないぞ。猪の肉だぞ」と自分に言い聞かせ…“日本軍”になった台湾原住民と太平洋戦争の「人肉食」

「これは人間の肉じゃないぞ。猪の肉だぞ」と自分に言い聞かせ…“日本軍”になった台湾原住民と太平洋戦争の「人肉食」

「日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊」#1

2022/08/14
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「ニューギニアに軍隊があまりに多すぎた」

 田来富(第七回高砂義勇隊)は、「ニューギニアに軍隊があまりに多すぎた」と言う。

──大量の軍人がおり、日本軍駐屯地の周辺には食物がなくなってしまった。何ヵ月間もこうした状況が続き、地域によっては食糧不足が極限にまで達していた。こうして、日本兵による「人肉食」事件が発生した。

 日本兵は高砂族ほど狩猟に長けていず、台湾人ほど何が食べられるのかも分からない。そこで、日本兵が最も悲惨であった。労務は厳しいのに十分に食べ物がなく、栄養不足で、部隊内に病気が蔓延した。非常に多くの人々がアメーバ赤痢に罹ったが、医薬品も欠乏していた。

 こうして、まず日本兵の間で「人肉食」が始まった。人間にとって最後の食糧は人間という状況が生み出されたのである。その時のことをルデラン・ラマカウ(第二回高砂義勇隊)は以下のように述べる。

──1942年11月頃、ギルワ陣地に辿り着いた。だが連合軍に包囲され、食糧探しも水汲みもできず、餓死寸前になった。こうした時、クムシ河口に集結命令が出た。ジャングルを前進すると、昼夜分かたず連合軍捜索隊の自動小銃の音が鳴り響いた。

 途中、銃声とともにオーストラリア兵が倒れた。すると、日本兵数人が飛び出し、銃剣でオーストラリア兵の肉を削り取り、食べはじめた。私は茫然としてその行為を見ていた。すると、日本兵は「お前にはやらない。早く向こうに行け」と怒鳴った。高砂族も首狩りをしていたが、殺害した人間の肉を食べたことは聞いたことがない。

「これ(遺体)を肉にして持ってこい」

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 バヤン・ナウイ(第五回高砂義勇隊)によれば、

──指揮系統も崩壊し、落伍兵は勝手な行動をとった。山田軍曹と私は食糧を探してジャングルを進んでいると、死体の軍服と靴が投げ捨てられ、肉を削り取った死体の横で、日本兵5、6人が飯盒の中の人肉を無表情で食べていた。

 山田は憲兵にそのことを報告した。憲兵はその場に駆けつけ、全員を射殺した。私が一人でジャングルを進んでいると、「友軍の兵士」(この場合、他部隊の日本兵を指しているようだ)を殺して食べている集団を何度も目撃した。後にはある隊長が「これ(遺体)を肉にして持ってこい」と命令する部隊もあった。

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