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77年、運命の夏

「『君たちは身体を大切にせい』と言って、あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで手榴弾の音が…」“日本軍”として戦った台湾原住民が見た「終戦の瞬間」

「日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊」#2

2022/08/14

 数多くの犠牲者を出した太平洋戦争。その中に、日本兵として戦った、日本植民地下の台湾原住民もいる。

 軍属・兵士として太平洋戦争に動員、南洋戦場に投入され悲惨なゲリラ戦を戦った台湾の原住民を中心とした部隊「高砂義勇隊」。彼らが見たその知られざる壮絶な戦場とは――。『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』(平凡社新書)より、一部を抜粋して転載する。

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◆◆◆

 日本の無条件降伏の時が来た。当時のことについて、高砂義勇隊に参加しニューギニア戦線を戦ったロシン・ユーラオ氏に質問した。

「玉砕だ! 玉砕だ! 」

菊池:敗戦時の状況はどうでしたか。

ロシン・ユーラオ:戦争がそろそろ終わる。けれども日本兵も高砂義勇隊もそのことが分からない。戦争が続くと思っていた。

 ところが、アメリカ軍が飛行機で主に高砂義勇隊に対して大量の宣伝ビラを次々落としていくでしょう。「日本はすでに負けた。高砂族は帰国したほうがよい」とか、「高砂義勇隊は家に帰りなさい」とか、そうした内容であった。

 でも、そんな宣伝ビラを、僕たちは誰も信じなかった。そこで、その後も戦いつづけた。……アメリカ軍と戦うのは面白い。

菊池:「面白い」とはどういう意味ですか。

高砂義勇隊が戦ったニューギニア戦線

ロシン・ユーラオ:僕たちは敵を待ち伏せて攻撃した。アメリカ兵は身体が大きいので、鉄砲の弾に当たりやすい。アメリカ兵はすぐに逃げる。アメリカ兵は逃げきると、大砲を撃ってきた。今度は高砂義勇隊が逃げる。

……時には、僕たちがアメリカ軍の近くに行って、銃撃して逃げる。アメリカ兵に弾が当たっているのかどうか分からない。とにかく撃って、逃げる。

……そうすると、アメリカ軍は大砲を撃ってくる。それで逃げるでしょう。大砲が止むと、また近づき鉄砲を撃ち、そして逃げる。また大砲を撃ってくる。それが止むと、また近づいていく。その繰り返し……。

菊池:日本兵はどうでしたか。

ロシン・ユーラオ:もちろん日本兵も「負けた」とは思わず、上からの命令がなければ降参しない。まだ残って戦おうとした。

 そうこうしているうちに、日本軍部から3回にわたって、大隊長、中隊長、小隊長に対して玉砕命令が出た。その命令を受けて、隊長がね、「玉砕だ! 玉砕だ! 戦えるだけ戦おう。もうアメリカ軍に囲まれている。玉砕に行くぞ!」とか言う。

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