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77年、運命の夏

「『君たちは身体を大切にせい』と言って、あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで手榴弾の音が…」“日本軍”として戦った台湾原住民が見た「終戦の瞬間」

「『君たちは身体を大切にせい』と言って、あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで手榴弾の音が…」“日本軍”として戦った台湾原住民が見た「終戦の瞬間」

「日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊」#2

2022/08/14
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……昭和20(1945)年8月15日には、日本は負けたでしょう。でも、僕たちもそれを知らなかったから、高砂義勇隊は9月になっても戦いつづけた。日本降伏後も、戦闘は何十回もあった。そのうち、大きいのが2、3回。アメリカの飛行機が落とすビラの内容を「噓だ」と思っているしね。だから、一生懸命戦いつづけた。

日本の敗戦を知ったのは9月中旬。あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで…

菊池:それじゃ日本敗戦を知ったのはいつ頃ですか。

ロシン・ユーラオ:9月中旬ですよ。日本人の大尉、少尉各1人、それに高砂義勇隊の2人が白旗を掲げて陣地に戻ってきた。その時、僕たちは「日本が本当に負けた」と思った。

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菊池:日本の降伏後、知らずに1ヵ月も戦いつづけたのですね。

ロシン・ユーラオ:そうそう。日本敗戦時、師団長を頭に50人くらいの日本兵が頑張って戦っていたが、「もう負けた。君たちは身体を大切にせい」と僕たちに言い、その後、「天皇陛下ばんざーい」と言ってバーン。陸軍軍曹らは「天皇陛下万歳!」と言って、手榴弾で自殺した。ある部分の日本兵は切腹した。……あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで自殺した。

菊池:手榴弾で自決したのですね。みんな死んだのですね。

ロシン・ユーラオ:日本兵がだよ。高砂義勇隊の隊員ではない。

菊池:高砂族で切腹した人はいますか。

ロシン・ユーラオ:それはない。高砂族で切腹した人はいない。日本兵は切腹したり、手榴弾自殺をしたが、高砂義勇隊の隊員は切腹も、手榴弾自殺もしなかった。僕たちまでが死ぬ必要はないでしょう。

日本兵の「集団自殺」と高砂義勇隊

ニューギニア戦線・マンベラ河付近

 戦争末期に「玉砕命令」が出た時、参謀らは苛立ち、部下を怒鳴りつけ、殴った。高砂義勇隊は最後の斬込隊に出ると言われた。潜入攻撃と異なり、斬込隊はある意味で「特攻隊」であり、生還できない場合が多い。

 そこで、義勇隊の何人かがジャングルの奧に逃亡した。高砂義勇隊員はわずかでも生還できる可能性があれば勇敢に戦うが、薫空挺隊の奇襲作戦を例外とすれば、全滅が確定し、確実な死が待っている戦闘には参加しない傾向があった。