薫空挺隊の場合、軍上層部はともあれ、義勇隊員は生還できる可能性があると考えていたのではないか。
アミ族の張陳龍明(第五回高砂義勇隊か)は次のように話す。
──戦争が間もなく終わろうとしていた。歩いていると、山の中に義勇隊戦没者の多くのヘルメットが置かれた「墳墓」があった。その中の一つはヘルメットではなく、義勇隊員の頭蓋骨が置かれていた。私は頭蓋骨に語りかけた。
「あなたも台湾の原住民でしょう。生前、知っている人ですか。私と同じアミ族ですか。あなたは死んでしまった。私もここで死ぬかもしれない」。
そう語りかけているうち、私はこらえきれず、大声で泣いてしまった。
「玉音放送」、その瞬間に起こったこと
「玉音放送」や日本敗戦時の経験に関しては、共通性もあるが、部隊によって対応がさまざまだったようだ。
タイヤル族のワリス・バワン(中国名は許明貴)によれば、
──部隊のラジオで放送を聞いた時、すべての人々は起立した。なぜなら天皇の声だったからである。だが、まさか日本の敗戦を宣言するとは思わなかった。その後、「すべての部隊は武器を捨て、連合軍とのすべての戦闘を停止せよ」と続いた。
皆、泣いた。私も泣いた。熱帯ジャングルでの長い戦いを思い出し、また次々と死んでいった戦友たちを思った。この戦争はどれだけ多くの命を奪ったのか。
この後、日本軍官や日本兵たちは集団自殺を選んだ。幾人かはジャングルに入っていき、ピストル自殺をした。
日本では天皇、日本帝国のために出征し、戦死することを崇高なものと教えている。また、『戦陣訓』で「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ、死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」を骨の髄まで染み込ませている。
したがって、日本兵は死ぬ前、「天皇陛下万歳!」と言って死ぬことになっている。だが、実際は、日本兵の1人は確かに「天皇陛下万歳!」と言って自爆したが、多くの日本兵は「お父さん、お母さん」と言って自爆した。