12月8日、太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃から82年が経った。アメリカに甚大な被害を与えた奇襲作戦から終戦を迎えるまでの約4年間、日本はどのような状況にあったのか。
ここでは、戦前から戦後の貴重な白黒写真355枚を、AI技術と人の手によりカラー化し、まとめた『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』より、カラー化作業の一部を担当した庭田杏珠さんの思いを抜粋。
当時19歳だった彼女はなぜ戦前・戦時中の写真のカラー化に取り組もうと考えたのか。一般市民をも巻き込んだ戦争の惨状、そして、当時の人々のリアルな生活を収めたカラー化した写真とともに紹介する。
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「被爆者の思い」を受け継ぎ、伝えていきたい
私は広島で生まれ育ちました。幼い頃は正直、平和学習がとても苦手でした。幼稚園の時に初めて平和記念資料館を訪れて、館内を一周し終えるころには、友達と一緒に泣いていた記憶があります。広島市の小学校では、8月6日の原爆の日が近付くと、平和学習が行われます。戦争が人々にもたらした悲惨な光景は、当時の私には受け止めきれず、思わず目を背けそうになりました。そして、今の私たちとつながる点を見出だせず、異世界のできごとのように感じていました。
そんな私が、戦争や平和について深く考えるようになったきっかけは、かつての「中島地区」の存在です。現在の平和記念公園にあたるその場所は、原爆投下前には4400人が暮らす繁華街でした。
小学5年生の時、平和公園のフィールドワークで使った1枚のパンフレットが、私の意識を大きく変えます。戦前の中島地区と現在の平和公園が見比べられるようになっていて、当時の人々の暮らしが分かる白黒写真も掲載されていました。「戦前には、今の私たちと変わらない暮らしがあって、それがたった一発の原子爆弾によって一瞬のうちに奪われてしまったんだ」と、戦争を初めて自分ごととして想像することができました。
それから、広島に生まれた者として、「被爆者の思い」を受け継ぎ、伝えていきたいと考えるようになりました。しかし、当時の私にはその方法が分からず、新聞やテレビ、書籍などから学ぶことしかできませんでした。