カラー化した写真を見て起こった“予期しなかったこと”
髙橋久さんもそのなかの一人です。髙橋さんの生家は中島地区で「髙橋写真館」を営んでいました。ご自身は江田島海軍兵学校にいたため、原爆投下によりご家族の中でたった一人残されました。
2017年の秋、父の脩さんのお遺骨が72年振りに原爆供養塔から返還されたというニュースをテレビで知りました。その時、仏壇に飾られていた家族写真を見て「ぜひカラー化してお渡ししたい」と思い、ご息女の久美子さんをご紹介いただきました。認知症を患う久さんと対話するのは難しいとのこと。そこで久美子さんに、家族写真、そして、たんぽぽ畑の写真をカラー化してお渡ししました。
後日、久さんはご自身が写っているかどうかもわからない様子だけれど、写真を見て微笑んでいますよ、と久美子さんに教えていただきました。
「写真館の息子さん。写真には特別な想いがあるのではないか……」
アルバムを預かって他の写真もカラー化したのち、久さんに直接お話を伺えないか、もう一度聞いてみると、「何も分からないかもしれないけれど、ぜひいらしてください」と快く受け入れてくださいました。そして久さんと久美子さん、私の3人で、カラー化写真のアルバムを囲んで1枚目をめくった瞬間、予期しなかったことが起こりました。
久さんが、原爆で失ったご家族との想い出を活きいきと語り始めたのです。
旅行の思い出の品を並べて撮影した時のこと、すいかの写真はカメラのフラッシュが眩しくて皮を被ったこと、名所「岩鼻」の写真では「この鼻だよ」とご自身の鼻を指差して、撮影した場所のことを教えてくださいました。
そして、最も印象深かったのは、花畑で撮影された家族写真でした。
お話を伺うにあたって、まず自動色付けしてみたところ、写真全体が黄色くなりました。さらに植物図鑑で調べ、花や葉の形からシロツメクサと判断して花畑の黄色味を弱めました。さらに洋服などの色も補正したものを、久さんにお見せしました。
その写真を見た瞬間、久さんは、それはたんぽぽ畑で、真ん中に写っているおばあさんに戦後育ててもらったことを話しはじめたのです。
久美子さんは驚き、とても喜んでおられました。そのことがとても嬉しかったです。また、AIが最初に色付けた色が結果的には正しかったことにも驚きました。
久さんの記憶をもとに、一つひとつの花を手作業で黄色く塗り直し、写真立てに入れて、その年の8月6日に行われた中島地区の慰霊祭で直接お渡しすることができました。
でも、その時には、もうお話を伺うことはできませんでした。
よみがえった「記憶の色」を、カラー化写真を通して、戦争体験者の「想い・記憶」とともに伝えていきたい。そう強く心に決めたできごとでした。
その後も、渡邉先生からカラー化の技術を学び、身につけていきました。そして資料と写真提供者との対話をもとに色補正を重ねていったものの一部が、本書で紹介したカラー化写真です。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。