夫は「女性へのリスペクトがすごい人」
――MARIAさんのことを否定しないんですね。
MARIA そう、ちゃんと寄り添ってくれてるのに、こっちはテンパってるから、「そんなこと言えるのは、お前はこの電話切った後すぐに寝られるからだよ!」とかってキレて(笑)。
でも、その数時間後の退院の時に、でっかい花束を抱えて迎えに来てくれて。その時渡されたプレゼントが、ネガフィルム式のキーホルダーだったんです。引っ張ってみたら、妊娠が発覚してからのエコー写真が1ヶ月分ずつ繋がってて。で、一番最後のフィルムに「尊敬してます」ってメッセージが入っていました。女性へのリスペクトがすごい人なんですよ。
米軍基地で生まれ育ち、父も母もいなくなり…
――MARIAさんの育った環境についてお聞きしたいのですが、お父さんは米軍の方だったそうですね。
MARIA そうです。だから私は青森の三沢基地で生まれて、その後、横浜にある根岸の米軍基地で育ちました。父は、日本人の母と早い時期に離婚したんですけど、中3の時にいきなりいなくなっちゃって。いわゆる蒸発ですよね。
――お父さんもお母さんもいないとなると、どうやって生活を?
MARIA 小4くらいから父の日本人の恋人がお母さんみたいな存在になってたんで、家に大人はいたんですけど、その人が「もうお父さんは帰ってこないよ」と言ってきて。
その後、実の母もやってきて「一緒に住もう」となったんですけど、自分は「お父さんが自分を置いて出ていくはずがない!」とつっぱねて、ひとり家でお父さんを待ち続けたんです。でも、ある日突然、家に帰ったら荷物が全部ゴミ袋に入れられてて。
――え、誰がそんなことを……。
MARIA たぶん、父です。強制退去みたいなものですよね。結局、後で父が泣いて謝ってきたんですけど、父は自分の恋人にも私たちにも内緒で、20歳年下のフィリピン人の方と勝手に再婚してたんです。その時、「ああ、血なんて何も信用できないな」と思いました。
「世の中の男は皆、女をゴミとしか思ってないでしょ」
――思春期にハードな体験をされたことで、その後のMARIAさんの男性観に影響はなかったですか。
MARIA 「世の中の男は皆、女をゴミとしか思ってないでしょ」みたいにはなりましたし、自分を大切にできなくなりましたね。父親って、自分にとって最初の男性像ですから。
まあ、父は父で、英語を喋れる人が周囲にいない環境の中で孤独を抱えてたんだろうなとか、大人になってから多少理解できることもあったんですけども。でも、今でも父として見るのはキツいですね。知り合いくらいの感覚なら話も聞けるんですけど。
――その後の生活は、お母さんと一緒に?
MARIA 実の母はもともと私の親権を欲しがっていたので、喜んで引き取ってくれたんですけど、母もすでに日本人の男性と再婚してて。だから、他人の男が家にいるっていう家庭環境は嫌でしたね。