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小学校では「ハーフいじめ」に遭った

――話は戻りますが、なぜアラスカに?

MARIA アメリカ人の父のきょうだいがアラスカにいたので、私も小学生の時、夏休みとかにアラスカに預けられてて、馴染みがあったんです。

 当時は周りにヒップホップの話をできる子もほとんどいなかったし、ラップも一旦諦めて、20歳になる前にやり残したことをしようと考えた時に、英語があんまり喋れなかったんで、留学することにしたんです。

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――基地育ちでお父様もアメリカ人ということですが、英語は日常的なものではなかった?

MARIA 読んだり聞いたりはだいたいできたんですけど、母の方針で学校は基地の外の普通の日本の学校に通っていたこともあって、喋るのはイマイチだったんです。

 そうすると、基地の子には「アイツの英語おかしい」って言われるし、日本の学校の方ではいじめに遭うしで、小学校の時はハードでしたね。

 

――日本の学校でいじめに遭ったのは基地に住んでいたから?

MARIA いわゆる「ハーフいじめ」です。クラスのヤツから「外人臭え」って声が上がって、そうしたら担任の先生まで、「外人臭いのはお前だから窓開けろ」って、皆の前で窓開けさせられて。

――ひどいです。

MARIA 涙をこらえて、「コイツらの前ではぜってー泣かねぇ」と誓いましたよ。小4くらいまで集団でハブられてたんですけど、小5の時にその主犯格がわかって、子分のヤツとまとめて校庭のサッカーゴールにぶん投げたりして、ボコボコにしました。

――その後、関係性は変わりましたか。

MARIA その時の担任はいい先生で、暴力をふるった私を怒るだろうなと思ったら、「物事には理由がある。なんで暴力をふるったんだ」って聞かれて、「小2から小4までずっと全員にハブられてて、我慢できなくなってボコボコにしました」って答えたんです。

 そうしたら先生が主犯格側にも確認して、相手も自分たちがやってたことを認めたので、「じゃあ、おあいこだ。お前もこれだけボコボコにしたんだから仲直りしろ」って言われて、そこで仲直りするっていう。

 

――熱い先生ですね。

MARIA いい先生でしたね。ただ、小学校の時にそういうキツい洗礼を受けたんで、中学からは、悪意はないんですけど、見下すような態度でなめられないようにしてました。

 これって大人になってからも言えると思うんですけど、うちの妹は細くて華奢でおとなしそうに見えるからか、おじさんとかにすぐなめられるんです。でも、私が代わりに「何か言いました?」って毅然と言い返すと、相手もビビって「あ、すいません」ってなるんですよ。