眉目秀麗な美男子・吉本穎右はシヅ子のファンだった
あのときのシーンを思いだせば、ウキウキときめいて踊りたくなるような気分、ステージでは忘れていた感覚を思いだす。
それから数日後、シズ子が舞台を終えて楽屋に戻ると、吉本興業の名古屋会計主任が彼女に面会を求めて訪ねてきた。吉本興業は戦前からすでに松竹や東宝とならぶ大手資本だが、興行は落語や漫才に特化されている。彼とは挨拶する程度の顔見知りではあるものの、お笑いの世界とは畑違いの彼女とは仕事で関係することはなかった。
それが何の用事でわざわざ楽屋まで訪ねて来るのか? 不思議に思ったのだが、とりあえず話を聞こうと楽屋に案内させる。と、心にまた衝撃が走った。彼に伴われて昨日の青年が入ってきたのである。
「じつは、ぼんに頼まれて来ましたんや。ぼんは笠置はんのファンだんねん」
彼はそう言って青年を紹介する。青年の名前は吉本穎右(えいすけ)。吉本興業の総帥である吉本せいの一人息子だった。
早稲田の学生だった穎右はシヅ子より9歳下だった
いかにも御曹司らしく、穎右は仕立ての良い高級な背広をお洒落に着こなしていた。
が、帽子を取って挨拶すると、その服装には似合わぬ坊主頭。早稲田大学の学生だという。当時の大学生は坊主頭が大半だった。6月に政府が学徒動員に関する決定をした関係で大学の夏休みが早まり、大阪に帰省する道中で名古屋に立ち寄り遊んでいたと言う。
あのときは気がつかなかったのだが、よくよく見れば、その顔には少年っぽいところが残っている。
29歳のシズ子とは9歳の年齢差があった。それに気がつくと、ときめいて浮かれていたことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
当時のカップルや夫婦は、女性が年上というのはかなり稀(まれ)。10歳近い年の差ともなれば、恋愛関係が成立することはまずありえない。相手の年齢を知って冷静になれた。
緊張がほぐれ心に余裕ができてくると、
「じつは数日前にもお会いしてましてん。知ってまっか?」