道路は整備されるべきもので、整備された道路をわざわざ退化させることは基本的には無いため、酷道は減っていく運命にある。
繰り返しになるが、新たな道路が誕生して喜ばしい一方で、酷道ではなくなってしまったことに、複雑な思いがある。白装束集団との恐怖の出会い、夜な夜な徳山小学校へメッセージを見に行ったことなど、過去の思い出が蘇る。
どんなものでも、最後の別れはいつだって寂しいものだ。
徳山村の記憶
特に印象深いのは、やはり徳山村のことだ。旧徳山村を通っていた国道417号は水没し、現在は、はるか頭上にバイパスが渡されている。当時のまま残っていた林道区間も、冠山峠道路開通の瞬間から通行する必要がなくなってしまった。それと同時に、私の中での徳山村の記憶も遠くなるように感じてしまい、それがとても寂しかった。
なお、旧徳山村には8つの集落があり、移村後の現在は、それら水没した故郷を望郷するための展望台が設けられている。また、「徳山会館」には、徳山村に関する資料が展示されていて、冬季閉館期間を除き誰でも訪れることができる。
冠山トンネルが開通する前日、私はその徳山会館を訪れ、水没した徳山小学校や旧国道417号の写真などを、懐かしい気持ちで眺めていた。各集落へ行くための道のことなどを館長さんと話していると、気が付くと3時間も話し込んでいた。
冠山峠道路が開通したことで、国道417号は便利で安全な道に生まれ変わった。岐阜県と福井県の都市部間の移動を考えると、まだまだ高速道路のほうが早いが、両県の距離感が縮まったのは間違いないだろう。また、冬季閉鎖されることなく、通年通行できる意義はとても大きい。
国道の代替路だった林道は、現在は土砂災害のため通行止めの状態が続いているが、林道本来の目的を果たすため、復旧作業が行われている。国道417号が酷道だった時のことを思い出して寂しくなったら、また会いに行けるように、願わくはいつまでもそこにあってほしい。
年を経るにつれ、酷道は姿を消してゆく。私は、思い出を噛みしめながら、進化して便利で快適な国道に生まれ変わる姿を、今後も可能な限り見届けていきたいと思う。