開発によって消滅した“村”
さて、国道417号について書いていくうえで「徳山村」の話は忘れられない。
徳山村とは、岐阜県側の「徳山ダム」建設によって消滅した村だ。
ダムの建設が決まれば「徳山村」の全村は水没・消滅してしまうことがわかっていたため、村は事業者との交渉に臨んだ。その期間はなんと30年にもおよぶ。結局、1989年に徳山村は水没全世帯が転居を完了し、徳山村という村名も消滅することになったという歴史がある。
交渉が決着し、実際に工事が開始されたのは2000年。
徳山村とともに水没してしまうことが決まった国道417号では、付け替え道路となる徳山バイパスの建設工事が行われた。
国道とともに村の全てが水没するというのは、尋常ではない。その過程を見届けたいと思った私は、国道417号を走り、徳山村を何度も訪れた。
2002年の時点で徳山村中心部の家屋はほとんどが解体されており、徳山小学校だった大きな建物が残されている程度となっていた。家屋が消え、土砂だけが積み上げられている旧市街地にポツンと残る小学校の建物は、国道を走っていても印象に残る存在だった。
工事が進んだ2003年からは、徳山村旧市街地への立ち入りが規制されるようになった。
立入禁止が目前に迫ったある日、旧徳山小学校の黒板に、元住民の方や徳山を訪れた人たちがメッセージを残していることを耳にした。
平日に仕事を終えた私は、徳山小学校に向かった。あたりは真っ暗になっていたが、どうにか現地に到着。黒板にチョークで書かれていた“徳山しずまないでくれ”のメッセージを目にしたときには、思わず胸が熱くなった。
2006年に徳山ダムの試験湛水が始まり、徳山村は徐々に水に飲まれていった。同年には、国道417号の徳山バイパスも全線開通。これをもって国道区間の悪路は解消された。
しかし、その先にある林道は悪路のまま残されていた。そのため、国道417号は事実上の“酷道”と認識され、一部のマニアの間で人気を博していたのだ。だが、今回の冠山峠道路の開通をもって、国道417号は完全に酷道ではなくなった。