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戦後の皇室で「裁可」は「家の中のルールを決める」ものに

 ひるがえって現代の眞子内親王と小室さんの婚約をめぐる天皇の「裁可」=許可には、どれほどの重い意味があるのかを考えてみたい。そもそも日本国憲法に「裁可」という言葉は出てこない。戦後の象徴天皇制において「裁可」は「家の中のルールを決めるとき」に使われるものとして、性質を変えて継続してきたと思われる。

眞子さま ©JMPA

 戦後、日本国憲法に変わり、天皇は「象徴」となった。国政に関与しなくなり、裁可も必要なくなったはずである。しかし、戦後はおそらく皇室内の家政的な意味で継続してきた。例えば、昭和天皇の三女である孝宮和子(たかのみや・かずこ)と元公爵家の嫡男ではあるが日本交通公社に勤務するサラリーマンの鷹司平通(たかつかさ・としみち)との婚約が1950年に発表され、翌年には、四女の順宮厚子(よりのみや・あつこ)と旧岡山藩主侯爵家の池田隆政との婚約も発表されている。 

 そして、どちらの結婚にも昭和天皇の許可が存在したはずである。しかし、管見の限りでは、メディアにそういった言葉は登場していない。天皇が許可したということを知らしめた場合、戦前との連続性が人々に想起されてしまう。敗戦後、天皇制が変化したことを強調することで、天皇制そのものを存続させることに成功したのであり、連続性を匂わせる言葉は避けられたのではないか。それゆえ、報道されなかった。

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眞子さまの結婚相手の人選に、宮内庁が動いた様子はない

 眞子内親王の結婚相手の人選にあたり、宮内庁が動いた様子はない。小室圭さんとの「自由恋愛」ゆえの婚約という形であった。今回、眞子内親王の婚約内定時の報道で、天皇が2人の結婚を認める「裁可」をしたことが私たちに伝えられたというのは、戦後直後のそういった心配が消え去った結果、むしろ戦前から続く慣行が表出してしまったという見方ができるだろう。

小室圭さん ©JMPA