「結婚延期」を決断した秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さん。2人の結婚については昨年9月3日、天皇が「裁可」(=許可)されたと宮内庁が発表している。だが、過去には天皇が許可された皇族の婚約や結婚をめぐり、複数の“事件”が起きているという。神戸女学院大の河西秀哉准教授が、皇族の結婚と天皇の「裁可」との関係について、改めて論考する。
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「どこかから圧力がかかったようにしか見えない」
秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」が報道されたとき、政治思想史学者の原武史氏はTwitterで、「当事者が主体的に決めたのではなく、どこかから圧力がかかったようにしか見えない。大正期の宮中某重大事件を思い出させる」とつぶやいた。私も「宮中某重大事件」を想起した。この事件は、大正期に、裕仁皇太子(後の昭和天皇)と久邇宮良子(くにのみや・ながこ)女王との婚約をめぐって元老の山県有朋がそれに疑義を唱えたものの、最終的には天皇の許可を根拠に婚約が遂行された出来事である。
私は、もう一つの事件も思い出した。「宮中某重大事件」の直後に起こった「久邇宮婚約破棄事件」である。こちらは、天皇の許可があったにもかかわらず、当事者である久邇宮朝融(あさあきら)王の意思が尊重され、婚約は破棄された。同じ許可があったにもかかわらず、一方は婚約遂行、一方は婚約破棄という結末を迎えた。 眞子内親王と小室さんの婚約内定にも、天皇の「裁可」=許可があった。では、今回はどちらの結論に至るのだろうか?
この「裁可」とは、先に私が「眞子さまが小室圭さんと自由に結婚できない3つの理由」においても書いたことであるが、もう一度考えておきたい。「裁可」は、辞書的に言えば「臣下が持ってきた議案などを君主(天皇)が裁決し、判断すること」である。大日本帝国憲法第1章第6条にも規定されている。戦前の大日本帝国憲法では、天皇は国の「元首」であり、「統治権ヲ総攬」する立場にあった。そのため、議会で審議された法案や予算案を裁可し、それによって法律などは成立していた。
つまり、国の方向性を決める重要な政策決定事項は、形式上でも天皇による裁可がなければ効力を持たなかった。それだけ裁可には重みが存在した。そして、皇族の結婚は旧皇室典範第40条に「皇族ノ婚嫁ハ勅許ニ由ル」とあるように、天皇の許可が必要であった。