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「あなたがいないところで、裁判はできるだけしたくないんですよ。難しいですか? 床を踏んだり、そういうの、抑えられない?」

 それでも被告人は答えず、音を立て続けたため、最終的に退廷させられた。裁判長が被告人の前まで降りてくることはなかなかない。ちなみにこの不測の事態が起こっても、閉廷時刻は予定からわずか5分過ぎるのみだった。

 このように横浜地裁では対話を拒む姿勢を見せた被告人だったが、東京高裁での控訴審では一転して饒舌に語りはじめたのだった。

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「やっぱり、人の命はね、大切にしなきゃいけないね」

 一審の不可解な行動については、その理由を弁護人が聞き取り書面にしていた。

「法廷で自分が何か叩くことやバタバタすることは分かっていた、でもやってしまった。今振り返ってみると、すごく反省している。横浜の裁判官にも話を聞いて欲しい」

裁判員裁判がもつ分かりやすさ

 だがその裁判官はもう、法廷で被告人の話を聞くことはない。依願退官し、公証役場の公証人となったからだ。退官前、別の事件での公判前整理手続において、弁護人に対し「裁判所の電気を使用してはならない」と命じたのだ。その弁護人が「刑事被告人が弁護人の援助を受ける権利を侵害する」として、東京高裁に抗告を申し立てた。審理計画を乱す被告人にも優しく語りかけていた裁判官は、弁護人が電気を使うことにはなぜか厳しかった。

 近年、法廷の壁面に取り付けられた大型モニターを使わない裁判も目立つ。対応は各裁判で異なり、証拠が映し出されることもあるモニターを使わない理由が明かされることもない。推測しかできないが、被害者秘匿の動きが進んでいることと無関係ではないだろう。裁判員裁判がもつ分かりやすさは、裁判員だけに対するものとなり、傍聴する我々一般市民には当てはまらなくなりつつある。

 裁判員のための分かりやすさ、裁判員のための集中審理、そのための公判前整理手続。そう考えると、被告人の刑罰を決めるはずの法廷は、まるで裁判員が主役の舞台のようだ。

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。