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「夫に馬乗りになり、その首を切った」公判で取り乱す妻に裁判長が壇上から降りて語りかけたこと〈裁判員制度15年〉

「夫に馬乗りになり、その首を切った」公判で取り乱す妻に裁判長が壇上から降りて語りかけたこと〈裁判員制度15年〉

2024/01/09

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会

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「事件から10年」「あれから3年」。報道機関はとかく、節目のタイミングに記事を出す傾向にある。こうした報道は、我々にとって、思い出すきっかけにもなる。交通事故であれば、安全運転を心がけようと思い、未解決事件となれば、重要な情報提供につながる可能性も生まれる。何のために、と思っていたが、思い出すということはそんなに悪いことではない。

 あと数年で私が裁判の傍聴を始めて20年。裁判員制度が始まったのは2009年で、もうすぐ15年を迎える。多く傍聴するものは殺人等の凶悪事件であり、現在は裁判員裁判対象事件となっている。

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 裁判員裁判の冒頭陳述や論告、弁論では検察官も弁護人も、証言台の前に立ち、聞き取りやすい大きな声でプレゼンテーションする。一般市民から選ばれた裁判員に対し、分かりやすさを考慮した結果であろう。傍聴する人にとっても、分かりやすい。

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 裁判員の拘束日数をできるだけ少なくしようという意図か、休廷を挟みながら朝から夕方まで、数日間連続して審理が行われることも特徴だ。裁判員裁判“非”対象事件のように、次の期日が1ヶ月後、ということもない。分かりやすさを追求した集中審理は功罪のうちの功か。

時間に追われて進行する「裁判員裁判」

 いっぽう気になることもある。裁判員裁判では事前に「公判前整理手続」という非公開の手続きが採られ、争点を明確にしたうえで証拠を厳選し、審理計画が立てられる。つまり検察側や弁護側がどんな主張をするのか、どんな証拠を調べるのか、だれを証人として呼ぶのか、初公判の時点で決まっている。そのため、裁判員裁判の裁判官は法廷でやたらと時間を気にするのだ。

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