2021年度、自治体が遺体を葬ったケースは約8600件に上るという。高齢化と孤立化で「無縁遺骨」や「墓じまい」が社会問題になっているのだ。

 ここでは、「無縁遺骨」の実態と墓じまいの現状に迫った作家・森下香枝氏の著書『ルポ 無縁遺骨 誰があなたを引き取るか』(朝日新聞出版)より一部を抜粋。将軍家や大名家の子孫は、どのように「墓じまい」と向き合っているのだろうか――。(全2回の2回目/1回目から続く)

写真はイメージです ©iStock.com

◆◆◆

ADVERTISEMENT

跡継ぎがいない19代当主

 先祖代々の墓の継承者がいなかったり、遠方で墓参りに行けなかったりという悩みは歴史にその名を残した旧大名家も同じだ。

 港区にある都立青山霊園には3代将軍・徳川家光の乳母として有名な春日局の子孫である稲葉家の墓所がある。

 そこに「継承碑」と題された珍しい石碑が建ったのは2004年7月だった。

〈稲葉家は19代で継承する実子がなく、この墓地は平成16年以降松平家と共同使用となっている〉

 稲葉家は江戸時代、現在の京都市伏見区淀本町にあった淀城に居を構えたが、明治維新後は子爵家となり、神道本局管長などを歴任し、東京に居を移した。

 淀藩12代藩主・正邦以降、当主や家族は青山霊園の墓所に埋葬されている。

 現在の19代当主の正輝氏(83歳)は跡継ぎがいない。

「今の時代、家名を守るために養子をとろうとしても難しい」と正輝さん。

 思案した結果、「親戚の松平家と共同使用」という異例の碑が建った。

 正輝氏の母親は会津松平家9代藩主の容保の孫。13代当主、松平保定は正輝氏の母親の実弟で、正輝氏にとっておじという間柄だ。

 継承碑には〈文久3年(1863年)京都守護職であった会津藩主松平容保と所司代であった淀藩主稲葉正邦は公武合体派として世に言う禁門の政変を共に戦った〉とも記されていた。