天皇への忠誠を誓うため神道へ改宗
「稲葉家と松平家のように旧大名家同士で墓を共同使用するというのはかなり珍しいケースです」
青山墓地を取材している時、偶然、石塔文化史研究家の秋元茂陽さんと出会い、旧大名家などの家や墓じまいについていろいろと教えてもらった。
秋元さんは墓碑研究として2016年に青山霊園の墓所を墓じまいした佐賀藩主鍋島家の改葬現場にも立ち会っていた。
その2年前には「佐賀藩主鍋島家の墓碑考察」という論文をまとめているが、明治維新後、天皇に忠誠を誓うため、佐賀藩主鍋島家をはじめ多くの旧大名家は仏教から神道へ改宗した。それまで菩提寺などに建てた五輪塔墓ではなく、神式の円墳墓に改め、新たに墓所をつくったという。
「明治初期、青山霊園でも土葬がまだ行われており、墓を掘り起こした時に人骨の一部なども見つかっていた。貴重な体験となりました」
論文によると、佐賀藩主鍋島家は佐賀や東京など全国に10以上の寺に菩提寺があったとされるが、青山墓地の遺骨などは佐賀市にある春日山墓所に改葬された。
絶家も相次ぐ旧公家・旧大名家の後継問題
石塔研究を40年以上続ける秋元さんは、全国にある400以上の旧大名家や皇室、公家らの墓を訪ね歩き、「徳川将軍家墓碑総覧」などにまとめ、発表している。
旧大名家は藩主を務める地元と江戸にそれぞれ墓所を持つケースが多い。
「子孫は領地など所縁(ゆかり)がある菩提寺に墓参りに訪れるだけでもかなり大変です。それぞれの墓へのお布施、修繕費などもかなりかかるので、菩提寺から離檀するための口実として明治時代に神道に改宗した家もあったと言われています」
第二次世界大戦後、華族制度が廃止され、菩提寺とも疎遠になる家が増えたという。
「有名な大名家であれば、国や都道府県が墓を史跡として保護してくれるが、由緒正しい家柄でも知名度がいまいちな場合、自分たちで墓などを修繕、保存して守っていかなければならない。墓だけでなく、家そのものも存続が危ぶまれるケースもあります」
数百年と続いた旧公家、旧大名家でさえも後継ぎがおらず、絶家というケースが近年、相次いでいる。
徳川宗家(旧将軍家)や御三家の紀州徳川家にも跡継ぎがおらず、今後どうするのか、注目されている。