このあたりのカウリスマキの映画作法は、先ほど触れた「遊び」とは対照的に、きわめて堅牢だ。なるほど、彼の映画には、デッドパンとかオフビートとかいった形容がしばしば付いてまわる。だが彼は、変化球だけで勝負しているのではない。基礎にあるのは、強い直球を思わせる語りと、役者の廉直な芝居だ。
この美質は、ぜひとも見逃さないでいただきたい。
カウリスマキならではの美学が随所に
『枯れ葉』のアルマ・ポウスティやユッシ・ヴァタネンも、沈着な楷書を崩さない。
無表情に見えて、彼らの顔の筋肉は微細に揺れ動きつづけている。その一方で、くすぐりや小芝居を丁寧に避けているため、観客は神経を無駄にそよがせることがない。
撮影や編集にも、アドリブや思いつきによるぐらつきは見当たらない。トレードマークの固定ショットは、いつもどおり緻密な計算が行き届いているし、お馴染みのジュークボックスや、シングルコイルのエレキギターが満を持して画面に出てくるところにも、カウリスマキならではの美学が覗く。
繰り返すようだが、この映画のカウリスマキは、語りのペースが実に安定している。丁寧に話を織り、ふたりの主人公をヘルシンキの街から離れさせず、不必要な装飾楽句や見せびらかしの身振りをちりばめることがない。
だからこそわれわれ観客は、ふたりの純情な言動に、安心して身を委ねることができる。しくじりや失言を気にせず、彼らの一挙手一投足に眼を凝らし、その片言隻句に耳をすますことができる。
これは、稀有な映画的体験だ。もちろん、映画の背景は〈プロレタリア3部作〉の時代とは異なっている。分断と不寛容と戦争が横行し、息苦しさは明らかに増している。
ただ、そんな時代にあっても、愛情や想像力の価値は減じない、とカウリスマキは観客に語りかける。不如意は不如意として受け止めつつ、生命の根底にある情動を信頼することは可能なのではないか、ともささやきかける。彼が聞いたら顔の前で手を振るだろうが、『枯れ葉』は81分間の真率な祈りのように見える。
『枯れ葉』
監督:アキ・カウリスマキ/出演:アルマ・ポウスティ、ユッシ・ヴァタネン、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイヴ/2023年/フィンランド・ドイツ/81分/配給:ユーロスペース/全国順次公開中