閨(ねや)でも政(まつりごと)でも頼りにしていた乳母をあっさり島流しにした義政の落差 

近藤 有名な尊氏と義満を入れなかったのは?

奥山 今参局からスタートしたことが大きいですね。今参局の最期に「私は、見とうございまする。上さまの行く末、御台さまのなさりよう」という言葉を吐かせたのです。あんな死に方をして、成仏するわけがない。亡霊としてさまよう彼女に義政や富子のその後を見せてやりたいと思ったんです。

近藤 私と奥山さんのご縁は、脚本を書いていただいた朗読劇がきっかけなのですが、『浄土双六』を読んだあとに今参局を朗読劇で演りたいと仲間に話したら、「あれ、かなり官能的だよね」という反応が(笑)。今参局の章はハードなセックスシーンもあります。あれは意図的にそうされたのですか?

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奥山 乳母が愛人になるというのが、現代の読者には、エグく感じるのではないかと思って。だったら、乳母として仕えてきた主と閨をともにするシーンをあえて克明に描いたほうが、“エグさの享受”として面白いのではないかと(笑)。

近藤 それは狙い通りに、存分にエグさを味わいました(笑)。義教の還俗に伴ってのセックスシーンもありましたが、エグさでいったら、今参局がダントツ。自分が育てた若君に組み敷かれ、性的にもひどい扱いを受ける。

奥山 彼女の陰惨さを表すには、どうしても書かずにはいられませんでした。

近藤 あの濃密なふたりの関係性……閨もそうですし、何かというと今参局を呼んでは意見を聞いていたわけですよね、義政は。なのに、富子の訴えをうけてあっさりと島流しにしてしまう。その落差が……。奥山さんは義政をどう捉えましたか。

奥山 銀閣寺の図面をみたときに、ああ、これは人を寄せ付けない建物だなと感じたんですよね。銀閣寺には人と交流する場所、いわゆる「会所」がない。あれは義政の、己のためだけの御殿。金閣寺とは絶対的にコンセプトが違う。これを建てた義政はきっと、ひとのことはどうでもいい人物なんだな、と思っちゃったんですよね。幼いうちから、将軍家の跡取りとして周りがすべて過保護にお膳立てして、反面、規制もされて育ったからか、人間に対してものすごく冷たい。美しいものや景色には強く執着するのに、人間への情はない。だからこそ、お今の呪詛によって子が死んだと聞いて、さっさと島流しにしてしまった。

近藤 その冷たさは、作品からすごく伝わってきました。同時に、彼のウィークポイントは、父親への想いなのではないかとも感じて。父である義教とのちの義政である幼い三春丸(みつはるまる)の対面が、父、乳母、そして息子それぞれの章で違う視点から描かれている。緊張のあまり、消え入るような声であいさつをする息子を父は冷たくあしらいます。

奥山 将軍家に生まれたからには、血を継いでいかないといけない。つまり、父親に認められるのが己の存在意義なんです。やっとのことで実現したその父との対面で、あの顛末。おそらく、一生のトラウマになったであろうと。