『葵の残葉』で新田次郎文学賞を受賞するなど、たしかな知識と情緒ある筆致で多くの読者を獲得している奥山景布子さん。彼女が、室町時代を舞台にした『浄土双六』の執筆を決めた背景には、自らが育てた若君の愛人になるという壮絶な生涯の末に、自らの乳を裂いて果てる衝撃の最期を遂げた女性、今参局との出会いがあった。そのエグくも切ない物語について、近藤サトとともに熱く語った一部始終を公開!
乳母として育てた若君の初体験を手ほどき。古典文学では当たり前!?
近藤 『浄土双六』、たいへん面白く、時にぞくぞくしながら読みました。奥山さんといえば、江戸時代を舞台にした作品や、もともと源氏物語の研究をされていた方、という印象が強かったのですが、今回は、室町時代が舞台で……。
奥山 室町時代、人気がないですよね(笑)。
近藤 そうなんです! 正直に申しまして「室町」というのはどうにも馴染みが薄い。今回、このお話をいただいて、私はあわてて図書館に走りました。読者として楽しむだけじゃなく、少しは歴史的な背景を知らなければ、と思いまして。そうしたらやはり、ほかの時代にくらべて、わかりやすい資料というのが少ないのですよね。まずお聞きしたいのですが、なぜ、室町を舞台に選んだのでしょうか。
奥山 私自身は、テーマを決めるときに、あまり何時代が良いとかを考えていないんです。史料を読んで、その人物が魅力的なら、いつの時代であっても飛び込んでいって、書きたくなる。もとが研究者なのでその辺は図々しくて、「調べればなんとかなるだろう」と思ってしまうんです。
近藤 だとすると、今回、さいしょに魅力的だと感じた人物は……。
奥山 今参局ですね。
近藤 やっぱり! 彼女を描いた「乳を裂く女」は強烈な印象でした。
奥山 彼女は自刃した最初の女性として史料に記されているんです。それで気になって調べてみたのですが、あまり詳しい史料が残っていないんですよね。
近藤 そうなんです。私は六篇のなかで今参局がもっとも気になって、図書館でも彼女の資料を探したのですが、これがなかなか、見つからない。
奥山 そこがかえって面白い。史実Aと史実Bの間の、この部分の史料がない、となったときに、「よし、じゃあ、ここを書こう! この間の部分こそが、私のフィールドだ!」とスイッチが入るんです。歴史小説にも様々な描き方があると思いますが、私は、史実にはなるべく添いたい。読んで興味をもってくれた人に、ちょっと調べたくらいで嘘ってばれるものは書きたくない。私は史実に反していない範囲で、できる限り面白いものを描きたいと思っています。
近藤 図書館でみつけた資料を念頭に『浄土双六』を読みかえすと、まさに、AとBの間に、登場人物たちの生々しい物語が描かれている。いま、お話を伺って、すごく腑に落ちました。今参局のあの激しい人物像、それは史料と史料の間を、奥山さんの筆で紡いだからこそ、ですね。今参局は、八代将軍・足利義政の乳母であり、かつ側女だった。いまの感覚からすると、もうそれだけですさまじい。
奥山 歴史の先生による論文だったかエッセイだったか……、彼女は“義政の側近のひとりであったことは間違いないが、側室なのか乳母なのか判然としない”とあったんです。それを読んで私は、いやいやいや、乳母と愛人の両方に決まっているでしょ、と思ったんです。文学作品では、乳母が身分の高い男性の初体験を手ほどきするのは、さほど珍しい話ではなくて。歴史の先生は文学作品の、ある意味下世話なところはご覧にならないのかもしれないですね。
近藤 奥山さんは国文学が専門の研究者でもいらしたから……。
奥山 ええ。かつ、今参局は権力も握っていた女性。これは面白い!と思いました。