日本の文化に貢献した義政、でもその魅力は……。
近藤 義政の魅力って、どのあたりですかね?
奥山 ……残念ながら、評価できるポイントがないのですよね。もちろん、いま我々が日本文化だと思っているものは多分に義政が寄与しています。結局、普請をするということは、絵も描かせないといけないし、庭も造らせないといけない。彼は、あの時代、最大のパトロンだったわけです。才能のある人をたくさん呼び集めて、お金をいっぱい使って銀閣寺を建てた。そういう意味では、文化的な貢献度はたいへんに高い。けれど……。
近藤 これ、たとえば江戸時代の円熟期ならともかく、世の中は飢饉で餓死者が出ている、たいへんな時代ですよね。
奥山 そう! そこなんです。
近藤 奥山さんは、義政の大きな功績である、文化的な側面に対してもばっさりと切っている印象があって、あら……、お嫌いなのかしら?と思いながら読みました(笑)。
奥山 好きではないですねえ。
近藤 一篇目の「橋を架ける男」の冒頭も冒頭で、「民の心がいっそう、荒れてきたな。」と書いている。義政の治世というのは、こういう時代なんだよ、ということを読者にはっきりと示している。あそこで、すでに奥山さんは、義政のことを突き放したな、と感じました。いくらきれいなものをつくっても、御殿のそとには屍(しかばね)がつみあがっている、そんな世なんだと。
奥山 そこはきっちり書いておきたかった。恵まれた環境にいる人間が、その責を果たしていないと、腹が立つ性質(たち)なんです。政をすべき人間たちの失敗で、庶民が苦しんでいるその世相をきちんと知らせるために、願阿弥の章を書いた部分があります。
近藤 彼は実在のお坊さん。
奥山 そうです。私の理想のお坊さん。私欲を捨て、民衆に尽くす、智恵も行動力もある。けれど、彼の生い立ちなどの史料はなくて、そこに私は、彼にこういう幼い時代があったのだとしたら、と想像して書いたのがあの章です。
近藤 『浄土双六』の中で、彼は異質の存在です。義政も今参局も、将来に希望が感じられない中で、願阿弥の章は「先に光が見えまするぞ」と前向きなことばで閉じられています。語り口もちょっと説経節を思わせるような、ほかとは違った雰囲気です。
奥山 庶民の側に、光のある話を置きたかったんです。ひどい景色の中ではあるけれど、なんとか前を向いて生きていく。最初と最後に、庶民の話を置いて、そこに光を灯しておきたかった。
近藤 死体がごろごろ転がっている景色の中なのに、「橋を架ける男」は不思議と希望を抱かせる読後感でした。なのに、二篇目から、希望の少ないこと! そもそも『浄土双六』というタイトルも、不穏な空気をまとっています。
奥山 これは、実は、題ありきだったんです。雑誌に掲載した短篇に書き下ろしを加えて単行本を出そうとなったときに、なかなかタイトルが決まらなくて。でたらめに辞書を引いてみて、見つけたのが、このことば。そこから、当時の公家が浄土双六で遊んでいた記録がないか調べまくったら、あった! ああ、これでタイトルにできる、と思って、義政の章に浄土双六に関するエピソードを加筆しました。
近藤 「生きるとは、しょせん双六か」のあたりは、雑誌掲載時には……。
奥山 ありませんでした。
近藤 それは意外でした。これだけはまるタイトルはないだろう、と思うし、あのシーンも印象的で。辞書でぐうぜんに見つけたとは、物語の神がいるようですね。『浄土双六』と図書館通いのおかげで、いま、私の頭の中は室町時代でいっぱいです(笑)。このなんともいえない魔力を、多くの方に味わってもらいたいですね。「大河ドラマで今参局と富子の闘いをみたい」、これは声を大にして言っておきたいところです。
奥山 ありがとうございます(笑)。大河ドラマといえば、このところ、鎌倉時代や平安時代の作品が増えて、戦国や幕末以外も脚光を浴びるのはうれしい限りです。いつか、室町もまた、描かれるとよいなあと思います。
近藤サト
1968年生まれ。日本大学芸術学部放送学科を卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。98年に退社し、フリーに。美しい「グレイヘア」でも知られる。
奥山景布子
1966年生まれ。名古屋大学大学院博士課程修了。文学博士。教員を経て作家に。2018年に『葵の残葉』で第37回新田次郎文学賞と第8回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞。