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 といっても、その段階ではまだ正式な歌詞がついていないので、メロディーに仮の歌詞をつけて歌います。その「仮詞」を考えることも、セットで頼まれることがよくありました。

ギャラは1曲2000円だったが、どんな仕事も引き受けた

 最初の頃のギャラは、1曲2000円。歌詞を書き、1時間電車に乗ってスタジオに出掛け、歌う。もらったギャラから往復の交通費を差し引くと、手元にほとんど残らない、なんてこともありました。

 それでも、音楽を通じてお金がもらえるのがうれしくて、そして、やっと手にしたこのチャンスを絶対に逃したくなくて、どんな仕事も引き受けました。

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 そのうち、書いた仮詞が少しずつ評価され、そのまま正式な歌詞として採用されたり、バックボーカルの仕事を頼まれたりするように。

 だんだん音楽業界の中で、私の名前と顔を覚えてもらえるようになり、気がつくと、コンペの誘いが徐々に届くようになりました。

 アーティストが歌う曲の多くは、レコード会社が複数の作家から募集した作品の中から選定されます。このプロセスがコンペです。

写真=岡嶋かな多さん提供

コンペのために年間500曲、歌詞を書いていた

 ただ、採用されるのはそう簡単ではありません。それでも、声をかけてもらえることがうれしくて、コンペの参加依頼があれば、ひとつ残らず応じました。

 当時は多いときで年間500曲くらい、コンペのための歌詞を書いていました。 

 朝から夕方までCDショップでバイト。その後、レコーディングスタジオに向かい、仮歌の仕事。明け方近くに家に帰り着き、エナジードリンクをガブ飲みしながらコンペの歌詞を書いて、またバイト。週末は路上ライブ。そんな生活を3年くらい続けていました。

 何百曲と歌詞を書いても、コンペで採用されるのは、そのうち1曲あるかどうか。

 でも、それ以上に、求めてもらえることがうれしかった。期待に応えたくて、無我夢中で。夢へと走る足が止まらない毎日でした。