安室奈美恵、NiziU、LE SSERAFIM、TWICEなど、人気アーティストに作詞、楽曲提供をしている音楽プロデューサー・作詞作曲家の岡嶋かな多さん。中学卒業後、すぐに音楽の仕事を始めた岡嶋さんは、さまざまな苦難や挫折を経験したという。いったい彼女は、どのようにして自らの夢を叶えたのだろうか?

 ここでは、岡嶋さんの著書『夢の叶え方はひとつじゃない 私は、中卒作詞作曲家』(PHP研究所)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)

音楽プロデューサー・作詞作曲家の岡嶋かな多さん(写真=岡嶋かな多さん提供)

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中卒で音楽スクールに入学するが、早々に後悔

 音楽で誰かのためになりたいという夢に出会った私。

 相当な覚悟を決め、中卒で音楽スクールに入りましたが、入学早々、もしかしてこれは判断ミスだったのでは? と頭を抱えました。

 まず、同年代のクラスメイトが全然いない! 生徒は20代の大人ばかり。それはそれで、最高に刺激的でしたが、心細さもありました。

 というのも、新聞広告で見つけたそのスクールは、いわゆる専門学校ではなく、しかもその事実を、入学してから知ったんです。

 授業のコマ数は少なく、空き時間も多い。結果、自主練習とアルバイトばかりしていました。

 一方、中学時代の親友たちは、楽しく高校生活を謳歌。自分はなんでこんなにも早まったことをしてしまったんだろう……と早々に後悔しました。

 普通の高校生が、キラキラと輝いて見える。「日本を代表するシンガーソングライターになる!」と心に決めて飛び出してみたものの、何もなせていない自分。焦りと、自分の人生がどうなってしまうんだろうという不安、そして、そんな思いを分かち合える友達がいない寂しさがごちゃ混ぜになり、毎日のように、スタジオに入っては、ピアノに突っ伏して泣いていました。

 中学時代、歌がうまいと言われていた私は、音楽スクールに入れば、すぐに結果が出るはず! 遅くとも、17歳くらいで武道館に立たなきゃと思い込んでいて。ところが、いざスクールに入ると、歌のうまい人はゴロゴロいる。結局、予定が実現する見込みもまったくないまま、卒業。