「これまで若手のツッコミを千人は見てきたけど、春日はポンコツだよ」と言われたことも……。今では武道館も埋める超人気芸人のオードリーだが、かつては解散を考えるほど仕事がうまくいかなかった時期も。そんな2人の解散を踏みとどまらせた、意外な先輩芸人とはいったい?

 渡辺正行さんの著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

解散間近のオードリーを救った意外な先輩芸人とは? ©文藝春秋

とにかく華のなかったオードリー

『オードリー』が全国にその名を轟かせたきっかけは、2008年のM-1だ。

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 独自の「ズレ漫才」で、敗者復活戦を勝ち抜いて決勝に進出した後、見事準優勝を果たし、一夜にして、人気芸人への道を歩み始めることとなった。

 ズレ漫才とは、簡単に言えば、話を進めようとする若林正恭に、春日俊彰がズレたツッコミを入れ、それに対して、若林が流したり、ツッコむというもの。つまり、春日のツッコミがボケになっているというわけだ。

 若林と春日は中学校と高校の同級生で、2000年4月、お笑いコンビ『ナイスミドル』としてデビューした。ともに21歳だった。

 当初は今とは違い、若林がボケで、春日がツッコミだったのだが、まるでウケなかった。M-1の予選に出場しても早い段階で落ちることが当たり前で、2005年4月には、所属事務所の社長の提案でオードリーに改名した。

 その由来はオードリー・ヘップバーン。二人とも華がなかったため、華のある大女優の名前から採ったらしい。

 しかし、それ以降も、同期や後輩たちがさまざまなメディアに進出していく中、オーディションで合格することはほとんどなかった。その際、春日のツッコミがあまりにも下手だったため、よくダメ出しを食らっていたという。

 

若かりし頃の2人 ©getty

 なにしろ、あるオーディションで落ちたとき、審査を担当した放送作家から、「これまで若手のツッコミを千人は見てきたけど、春日はポンコツだよ」と言われたらしい。

 そんな日々を送っているうちに、いつしか若林の頭の中に“解散”の二文字が浮かんでは消えるようになった。