その頃、オードリーが唯一、芸人の仕事として舞台に立っていた場所がある。
それは、新宿三丁目の「そっくり館キサラ」。ホリや原口あきまさ、コージー冨田など、数多くの人気モノマネタレントを輩出してきた、モノマネショーレストランである。
オードリーはモノマネをしていたわけではないが、前説を経て、ショータイムで漫才以外にコントも披露するようになった。
オードリーの解散を止めた先輩芸人
だが、2006年に入っても、売れる気配は一向に感じられなかったため、すでに28歳を迎えていた若林は、ついに真剣に解散話を切り出すことになる。
キサラの楽屋の奥で二人で話し合い、「明日事務所に解散について伝えよう」とまで決まったのだが、先に出て行こうとした若林の背中に、こんな言葉を掛ける人がいた。
「あんちゃん、死んでもやめんじゃねーぞ!」
声の主は、ビートたけしさん公認のモノマネタレント・ビトたけしさんだった。楽屋にたまたま残っていたところ、二人の解散話を耳にし、まるでたけしさん本人が言ったかのように励ましてくれた。
「俺たちなんかの解散を止めてくれるなんて……。嬉しいなあ」
心から感動した若林は、キサラのビルを出てから泣き続けた。
ただ、信号で立ち止まったとき、
「あれ? よく考えたらアイツ、たけしさんのニセモノじゃないか……」とも思ったらしい。
こうして、オードリーはコンビを続けていくことをなったのだが、その場で見ていた春日の感想は、「たけしさんによく似てんなあ」だったという。もう、感覚がズレてるなあ!