明石家さんまさんから「おもしろい芸人」を聞かれた、上田晋也さん……。上田さんが即答した、ある意外な芸人の名前とは? タレントの渡辺正行さんの著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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諦めなかった古坂大魔王
「やっとです! 古坂がやっとここまで来ました。僕らの番組でも普通に呼べるようになったし、ホントうれしいですよ!」
何年か前、爆笑問題の田中裕二から、こんなふうに熱く言われたことがある。
古坂とは、現在、お笑いの世界だけではなく、音楽でも目覚ましい活躍を続けている古坂大魔王のことだ。現在の最も有名な肩書は、言うまでもなく、『ピコ太郎』のプロデューサーだろう。
ピコ太郎は、角刈り、サングラス、口ひげ、バイソン柄の服、パンサー柄のストールが特徴的なシンガーソングライター。そのコワモテの風貌から、海外では「ジャパニーズ・ヤクザ・スタイル」と誤解されたこともあるらしい。
2016年8月25日、出世作『PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)』の動画をYouTubeで公開。SNSで次第に拡散されていく中、世界的アーティスト、ジャスティン・ビーバーから「お気に入りの動画」と紹介されるや否や、人気が爆発した。
公開からわずか4ヵ月で動画の再生回数が1億回を超えるなど、ピコ太郎は、全世界にその名を轟かせることとなった。
なにしろ、2017年11月、アメリカのトランプ大統領が初来日した際には、迎賓館で開かれた晩餐会に招待されているのだ。さらに大統領と安倍元首相と一緒に3ショット写真まで撮ったのだから、まさにピコ太郎おそるべしである。
それに伴い、プロデューサーの古坂も注目を浴び、国内外のさまざまなメディアから声が掛かるようになったというわけだ。
古坂は1973年、青森県生まれ。1992年春、高校卒業後に上京し、ウッチャンナンチャンや出川哲朗、バカリズムなどを輩出した日本映画学校(現:日本映画大学)に入学した。
ただ、上京の本来の目的はお笑い芸人になることであり、そこで出会った同級生二人(小島忍、村島亮)とトリオを結成すると、学校を中退した。そして、お笑い芸人として念願のデビューを果たし、「ラ・ママ」にも出場するようになった。
当初のトリオ名は、3人組なのに『よにん組』。しばらくして、『底抜けAIR─LINE』に改名した。名づけ親は、ネタ見せを手伝ってくれていたフジテレビのディレクター・永峰明さんである。
彼らのコントは、テンションの高さやその場のノリを大事にし、勢いで攻めていくものが多かった。
おまけに、ネタ担当の古坂は、観客の反応を見て、あまりハマッていないときは、とにかくハマるまでハイテンションでアドリブを繰り出し、なかなかコントを終わらせようとしなかった。
あまりにも長くなるので、「他の出演者もいるんだからもっと短くしろよ」と言ったところ、「やっぱりウケた方がいいじゃないですか!」と即答されたこともある。
そんな彼らは、90年代に一世を風靡したバラエティ番組『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)で、毎回、他の若手芸人とともに、ダジャレ的なネタを競い合うことによって、大ブレイクを果たした。
『爆笑問題』『ネプチューン』『海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)』など、全国的に絶大な人気を誇った「ボキャブラ世代」の中の1組になったのだ。