1ページ目から読む
4/4ページ目

 自分のネタ見せの番になったとき、膝が震えてすぐに立ち上がれず、漫談を披露している最中は手が震え、ネタを飛ばしてしまったという。

 それは傍目から見てもわかった。しかし、もともと実力を備えていたので、オーディションには無事合格。また「ラ・ママ」にコンスタントに出演するようになった。

 これは、なかなかできることじゃない。笑いにしっかり向き合っている古坂だからこその行動だ。

ADVERTISEMENT

 そして、古坂のお笑いと音楽を両立させる日々がスタートした。

 なかなか日の目を見なかったが、諦めずに続けたからこそ、ピコ太郎の『PPAP』をきっかけとしたブレイクにつながったのだろう。

 ちなみに、古坂に対して、「お前、音楽をやめろ。お笑いに集中しろ!」と言い続けていた上田は、それ以来、「もう二度と古坂に何か言うのをやめよう」と誓ったらしい。

 古坂は、今や、二つの分野で明らかに多忙なのだが、若手時代からの縁もあるのか、俺が何かをお願いすると、嫌がらずに対応してくれる本当に義理堅い男だ。

 2020年7月、コロナ禍で「ラ・ママ」が開催できない中、オンラインのお笑いイベント「NABE─1グランプリ」を企画したときも、「ちょっとさー、オープニング曲が欲しいんだけど、どう?」と聞いたら、即座に作ってくれた。ありがたいことだ。

「ところで、ピコ太郎でいくら儲かったの?」その答えは…

 ただ、そんな古坂が、俺の質問に答えてくれなかったことが一つある。

「ところで、ピコ太郎でいくら儲かったの?」とたずねたとき、「いやあ、リーダー、すっごいですよ!」としか答えてくれなかった。

 1億とか2億なら口にしそうなものだが、まったく教えてくれなかったということは、よっぽど“すっごい”のだろう。