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苦しさのあまり、トイレに駆け込んで吐くことも…「笑っていいとも!」から始まった渡辺正行の“コーラ早飲みバブル”の時代

『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』より #1

2022/03/13

『M-1グランプリ』の審査員を6回務め、多くの芸人から「リーダー」と慕われる、渡辺正行。タレントとして活躍する傍ら、主宰する「ラ・ママ新人コント大会」から、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、バナナマン、オードリーなど、数々の人気芸人を輩出してきた。

 ここでは、渡辺正行がこれまでの芸能人生を記した著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』より、コーラ早飲みバトルで一世を風靡した話を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

©文藝春秋

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コーラ早飲みで得た“バブル”

 コント赤信号は、1980年に本格的にデビューを果たした後、『オレたちひょうきん族』によって、全国的に知名度を上げることができた。

 初出演の82年10月から、番組終了の89年10月まで、たけしさんやさんまさん、紳助さんなど、無数の実力派芸人たちと7年間も共演できたことは、コント赤信号にとって、本当に有意義だった。

 ただ、85年くらいだろうか、『ひょうきん族』のコーナーに、三人が別々に出演することが当たり前になってからは、「コント赤信号にとって」というよりも、「一芸人にとって」と言い換えた方がいいかもしれない。

 そのうえ、ネタを披露する番組が減り、コント赤信号として活動する機会が少なくなった一方、一人の仕事が徐々に増えていた。

 それに伴い、石井は、それまで名乗っていた本名の「石井章雄」から「ラサール石井」になった。

ラサール石井 石井光三オフィスHPより

 もともとは、『おもしろプレヌーン』(テレビ東京)という情報番組の中で、石井が本を紹介するコーナーを担当することになったとき、鹿児島県の名門・ラサール高校出身ということから、ディレクターの近藤正人さんが命名。コーナー名を「ラサール石井の読書の部屋」にしたところ、石井がいたく気に入り、芸名として使うようになった。

 その頃、俺が初めて一人で出演し、成長させてもらった番組がある。

 それは、タモリさんが司会を務め、82年10月から2014年3月まで、30年以上にわたって、日本のお昼を彩ってきた長寿番組『笑っていいとも!』だ。

 俺は、85年から4年半くらい、レギュラー出演していた。

 そのきっかけを作ってくれたのが、漫才ブームを牽引した『THE MANZAI』や『ひょうきん族』、『いいとも!』など、数々の名物番組を手掛けたフジテレビのプロデューサー・横澤彪さんである。