昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「設楽統は貯めたお釣りでちゃっかり革ジャンを…」コンビを付き人として雇っていた渡辺正行が語る“バナナマン結成前夜”

『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』より #2

2022/03/13

『M-1グランプリ』の審査員を6回務め、多くの芸人から「リーダー」と慕われる、渡辺正行。タレントとして活躍する傍ら、主宰する「ラ・ママ新人コント大会」から、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、バナナマン、オードリーなど、数々の人気芸人を輩出してきた。

 ここでは、渡辺正行がこれまでの芸能人生を記した著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』より、一部を抜粋。結成前から関係の深かったバナナマンとのエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

渡辺正行さん ©文藝春秋

◆◆◆

最も縁がある『バナナマン』

 今や、さまざまなメディアから引っ張りだこの『バナナマン』の日村勇紀と設楽統も、「ラ・ママ」の出身者だ。過去に出演した数多くの芸人たちの中で、俺にとって、これほど縁がある二人が組んだグループはないだろう。

 というのも、バナナマンを結成する以前、日村は付き人を、設楽は付き人兼運転手をしていたことがあるからだ。

 俺が先に出会ったのは日村である。

 1990年、高校3年生だった日村は、同級生と二人でネタ見せにやってきた。誰もが出演できる頃とは違い、希望者が殺到していたため、いわばオーディションという形だったのだが、一発で合格。

 彼らのコンビ名は『陸上部』と言い、その後もコンスタントに出演するようになった。そして、翌91年の春、高校卒業が近づいてきたとき、声を掛けた。

「もしプロの芸人になりたくて、事務所のアテがないなら、うちに来ない?」

 当時、俺は「なべや」という個人事務所を持っていて、そろそろ若いタレントを入れようと考えていた時期でもあったのだ。

 陸上部は専属タレント第1号になり、最初の1ヵ月間は、俺の自宅に住み込ませ、付き人をやらせた。

「1ヵ月だけ、付き人をやりなさい。1年も2年もやらなくていい。1ヵ月で、芸能界の人たちはどんなふうに仕事をしているのか。人に気を遣うこと、人を気持ちよく送り出すこととはどういうことなのか覚えなさい」

 四六時中、俺の近くにいて、身の回りの世話をさせることで、きっちりと学ばせようとしたのである。