ついにバナナマン結成
バナナマンが結成されたのは、93年10月頃。日村が21歳、設楽が20歳のときだ。
日村と同じく、設楽もまた、芸人の夢を抱きながら相方を探していたのだが、俺はよくこんな話をしていた。
「お前は芸人を目指しているんだから、付き人のプロになる必要はない。1年ぐらいやって、やりたいことが見つかったら、やめていいからな」
二人を引き合わせたのは、俺が座長を務めていた『劇団七曜日』の劇団員で、その後、人気番組『関口宏の東京フレンドパークⅡ』(TBS系)の従業員(出演者)になる西秋元喜である。
西秋は、二人の共通の知人だったようだが、おそらく「ラ・ママ」を観に来たりしているうちに知り合ったのだろう。
そして、西秋が新しいお笑いグループを作ろうと考えたとき、声を掛けたのが、日村や設楽を含めた三人だった。
しかし、四人組での活動を前提として話や稽古を進めていくうちに、設楽は、
「このグループじゃダメなんじゃないか?」
と違和感を抱くようになったらしい。
そこで、日村だけを、
「二人でやらない?」
と誘って、コンビを結成し、「なべや」に所属することになったのである。
そんなバナナマンは、結成1年目から注目を集め、94年に初めて行った単独ライブでは、会場が100名に満たないキャパだったとはいえ、チケットが完売するほどだった。
さらに同年、深夜番組『Mars TV』(フジテレビ系)でテレビデビューを果たし、「パピヨン病」を披露している。
だが、彼らは、そのままテレビ進出の道を選ぼうとはしなかった。
同時期に一世を風靡した『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ系)で、多くの若手芸人が次々とブレイクしても、まるで目もくれなかった。
実際、俺もそのことを知り、彼らとこんなやりとりをしたものだ。