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「ボキャブラ世代でおもろいヤツ、誰がおる?」明石家さんまに上田晋也が伝えた“あまりにも意外な芸人”の名前とは――「●●っていう、日本一面白い芸人がいます」【写真あり】

『関東芸人のリーダー』より #5

2024/01/05
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 ところが、番組が1999年9月に終了し、「ボキャブラブーム」が去ると、底抜けAIR─LINE(1997年に村島が脱退し、当時はコンビ)の仕事は激減した。爆笑問題やネプチューンといった面々がレギュラー番組を次々と持つのとは対照的に、テレビで見かけることも少なくなった。

ボキャブラのギャラ700万円を「音楽機材」に投資

 その中で、古坂は、底抜けAIR─LINEと並行して、音楽関係の仕事を模索するようになる。もともとコントにも、さまざまな切り口で音楽を取り入れたりしていたので、その下地はあったのだろう。

 ボキャブラブームで得た大金を、高級車や遊びなどに使うボキャブラ世代の芸人もいたが、古坂は約700万円を掛けて、作曲からレコーディングまで一人で行うための機材をすべて揃えたという。

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 ちょうどその少し前ぐらいだろうか。実は俺も、音楽や曲作りを始めようとしたことがあった。

 仕事の幅を広げたいと思い、ピアノなどの楽器で自由に演奏した曲を楽譜に変換してくれるパソコン用の音楽ソフトや必要な機材を購入したのだ。

 ただ、それほど時間が経たないうちに、持て余すことになった。

 考えてみると、俺には、音楽的な知識や技術がほとんどなかった。自分で適当に引いて作った楽譜を前にしても、音符や記号をよく理解していないうえ、もっと良い曲にしようとしても、楽譜もよめないし、どうすればいいのか分からなかったのだ。

 その音楽ソフトや機材はどうしたのかというと、ある日、古坂が俺の家に遊びに来たとき、「これ、俺、使い方わかんないんだー、もう使わない」と言ったら、「えーっ、これいいやつですよ!」「じゃ、あげるよ」と、あっさりあげてしまったのである。

 後で聞いたら、当初はその機材を使って曲や音を作っていたそうで、「めちゃくちゃ役にたちました」と、お礼を言われた。その後、もっとしっかりした機材購入に繋がったらしい。古坂の音楽活動に少しは役に立ったようだ。

 2002年頃、古坂と小島は、新たに二人のメンバーを加え、お笑いと音楽を融合させたユニット『NO BOTTOM!』を結成した。

 しかし、2003年に底抜けAIR─LINEの活動を一時休止してまで専念したものの、売れない日々が続いた。

 さらに、2005年には小島が脱退し、芸能界から離れたことによって、底抜けAIR─LINEは解散を余儀なくされた。

 しかし、そんな状況に陥っても、古坂は、お笑いも音楽も、決して諦めることはなかったのである。

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