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《追悼・寺尾》“錣山親方”襲名直後に明かしていた「親父の教え」「貴乃花に負けた悔しさ」「妻との出会い」

source : 週刊文春 2004年5月13日号

genre : エンタメ, 芸能, スポーツ

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食欲旺盛の少年時代、茶碗25杯をたいらげた

 お相撲さんたちとホテルに行って、バイキングの「うずらの卵のマヨネーズ和え」を食べてたら、「お、よく食べるな。すごいな」と言われて「褒めてもらってるんだ」って嬉しくなって、銀皿一杯くらい食べちゃった。また真っ黄色、即入院です(笑)。お調子者なんですよね。15歳までカゼもひいたことがなかったのに、具合悪くなるのは、いつも食べ過き(笑)。

 勉強はまったくしない。両親に勉強しろって言われたこと、一度もなかったんですよ。「宿題できないよ。わかんないや」って切羽詰ってるのに、「もうやめときなさいよ~」と言うおふくろでしたから、PTAなんかも全然来ないしね。授業参観も、照れちゃって恥ずかしいから、来てもらいたくないんだけど、おふくろはメチャクチャ美人だったから、実は来てくれると嬉しかったんです。

 すごい食欲で、飯を茶碗25杯食ったことがあるなあ。いつもどんぶりで、5杯から8杯は食べてた。おふくろが「ご飯の支度してあるからね」と出かけると、蒸し鶏が兄弟3人分、ドーンと丸ごと3羽置いてある。お嬢様みたいな上品な人だったのに、やることは違ってたね(笑)。

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現役時代の寺尾 ©︎文藝春秋

 中学は地元の公立、両国中学校に。「背が高いから」とバレーボール部に誘われ、友人もどんどん増えた。

 ある日、いきなりみんなの見てる前で同級生にケンカを売られたことがあって、「明日屋上に4時な」と言われた。引けないじゃないですか。次の日、屋上にすごいギャラリーがいるんですよ(笑)。それまで一度も勝てないような相手だったんだけど、3発殴ったら、相手は鼻血出して倒れちゃった。なんでだろう? やっぱり、その頃から人に見られて闘うのが好きだったのかもしれないですね(笑)。雪駄履いて登校したりしてましたけど、不良ではなかったんですよ。それは親父が許さないもの(笑)。授業中フラフラしたり、寝てばっかりの問題児で、俺の席は教卓の横にあった。勉強も、英語なんて最高点が29点。それもみんな100点取るような、「ディス・イズ・ア・ペン」のテストですよ。でも、国語だけは新聞好きだったこともあって、偏差値70以上ありました。「福薗君は、国語だけならどこの高校でもいけるのに、内申書で全部ダメね」って言われてました。仲間7人と「硬派の会」を作って、俺たちは女子と喋らないって決めたんですよ。話しかけられても、当時流行ってたドラマ「前略おふくろ様」の荻原健一みたいに、「そんなことないっす」なんて口調で答えるだけ。でも、最後まで守ったのは俺だけ。そのうち喋りたくても、嗓れなくなっちゃったんですよね(笑)。