12月17日、元関脇・寺尾の錣山親方が亡くなった。60歳の若さだった。

 鹿児島県出身。初土俵を踏んだのは昭和54年の名古屋場所だ。力士としては細身の身体から繰り出す激しいつっぱりで人気を博し、平成元年の春場所には関脇に昇進し、兄の逆鉾とともに大相撲史上初の兄弟同時三役となった。

 引退後は「錣山」を襲名し、師匠として昨年の九州場所で初優勝を果たした小結の阿炎などを育てた。

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 錣山親方は現役引退直後の2004年、「週刊文春」の取材に応じ、私生活について赤裸々に明かしていた。当時の記事を特別に掲載する(初出:「週刊文春」2004年5月13日号)。

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現役時代の寺尾 ©︎文藝春秋

 今、江東区清澄に「錣山部屋」の建設準備を進めています。うーん、今年中に建つかなあ……。

 そうそう、今までの人生のなかで、生まれて初めて墨田区から出るんですよ。幼稚園から今まで、職場も国技館ですから、ず~っと両国の通り一本を中心にした範囲だけで、俺の人生は済んじゃってたんですよね(笑)。

 独立するにあたって、3人の弟子が付いて来てくれました。江東区の部屋が完成するまでは、自宅のすぐ近くの倉庫を惜りて、土俵を作って稽古場にしてます。その目の前の3LDKのマンションを借りて弟子と生活してるんですけど、うちの嫁さんがちゃんこを作りに通ってくれる。東京ではいいんだけと、大阪、名古屋、九州などの地方場所では俺が作らなきゃいけないんですよね。食中毒、大丈夫かなあ(笑)。

 父は先代井筒親方(元鶴ヶ嶺)、現在、ちゃんこ料理店を営む長兄は、元十両の鶴嶺山。次兄は元関脇の逆鉾(現井筒親方)と、文宇通り相撲一家に生まれ育った。元関脇の寺尾は、平成14年9月に、23年間に及ぶ現役生活を終え、錣山親方を襲名。「両国の生き証人みたいなものですよ」と、その端正な顔で笑う。

 

 生まれたのは、JR両国駅、国技館から北へ徒歩5分の墨田区横網。