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《追悼・寺尾》“錣山親方”襲名直後に明かしていた「親父の教え」「貴乃花に負けた悔しさ」「妻との出会い」

source : 週刊文春 2004年5月13日号

genre : エンタメ, 芸能, スポーツ

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毎朝、兄弟3人を叩き起こす親父の口笛「進軍ラッパ」

「横綱(よこづな)」じゃなくて「横網(よこあみ)」なんです。親父は当時、君ケ濱を名乗り、まだ部屋付き親方だったんですよ。正方形の土地にある借家に住んでました。子どもの頃の俺は、いるのかいないのかわからないような、おとなしい子だったらしいです。同級生の友達がいなくて、いつも3歳上の長兄の後をくっついて遊んでて、いつもおマメさん(笑)。

 とにかく厳しい父でした。今でも敬語で話しますもの。幼稚園の時に、帰りのバスの中で、ウンチ漏らしちゃったことがあった。たまたまおふくろもいなくて、お相撲さんが留守番していて、始末してくれたんです。それを聞いた親父が怒るわ、怒るわ。「お前のクソの始末をするために力士がいるわけじゃない!」って。幼稚園児じゃ自分でできないですよね。まあ、幼稚園になってまで漏らしちゃう方にも問題あるけど(笑)。

元寺尾の錣山親方

 朝、俺たち兄弟の部屋をバッと開けて、親父が口笛で「進軍ラッパ」を吹くんです。3人一斉に飛び起きて、パーッと布団を畳んでたんですよ。

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 今でも思い出すのは、小学校に通う途中にラーメン屋さんがあって、店の奥の部屋に「お邪魔しま~す」って言って、スッと上がりこむんです。店が忙しくて誰も相手にしてくれなくても、その家で、ひとりでみかん食べて帰って来る。ある日、浅間山荘事件をテレビで見ながらみかんを食べてたら、いつのまにか一箱半食べちゃっててね、次の日、真っ黄色に(笑)。

 小学校4年時、駅をはさんで南側にある墨田区両国へ。昭和47年、独立を認められた父が、妻の実家を改築し、4人の弟子を連れて君ケ濱部屋(のちの井筒部屋)を興した。

 おふくろの実家は、旅館みたいな家だったんですよ。表玄関も中玄関も石畳で、庭には小さな池もあった。兄たちは相撲好きだったけど、俺は全然興味なくて、将来力士になろうなんて思ったことなかったです。2階の半分がお相撲さんたちの部屋で、半分が自宅でした。