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これからは師匠として、「明るく楽しく厳しい部屋」を

 あの一戦がなかったら、こんなに長く相撲を取れなかったと思う。あれで俺の中に、貴乃花関を意識する気持ちが生まれて、「絶対翌場所では勝つぞ」と思い、実際勝ったんですよ。でも悔しさが消えない。なぜかって、今までの中で一番悔しかったことだからなんですよね。以来、頭の中には「貴乃花関に勝つんだ」って思いが常にあった。

 そのうち、向こうは大横綱になって、俺の番付は下がって行くから、対戦がなくなる。それでも「もう一回、貴乃花関とやるぞ!」って思ってるんですよ。十両に落ちても、最後の最後の場所まで、そう思ってたんです。巡業でもなんでも、貴乃花関の稽古を見ながら、「よし、四股の数だけでは負けないぞ」と思ってやってましたから。

 引退後は、花道の警備をしながら相撲を見る。去年の初場所で貴乃花関が引退したのを見て、この時「やっと俺の相撲人生が終わった」と思え、本当に感慨深かったんです。

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 もちろん、自分自身が既に引退していて相撲は取れないんだけど、28歳から39歳まで、11年間目標にし続けていたものが、これで完全に無くなってしまった。すごく寂しかったけれど、自分の中で、ものすごくさっぱりした部分があったんです。

錣山親方と握手する阿炎

 現在は、錦糸町に近い墨田区の4SLDKのマンンョン暮らし。階上には、錣山親方の紹介で入居した、舞の海さん一家が住んでいる。今年初場所後、独立を承認されてからの数週間は、「実は、ものすごくプレッシャーだったんです」と顔を引き締める。

 他人の人生を預かるわけですよね。出世させようということだけじゃなく「気持ち」を育ててあげなければいけない。たとえ強くなれなくても、いつか「お相撲さんになってよかったな」と思いながら、本人が辞めていけるように、ね。いろいろ考えるとすごく重いんです。散歩が趣味なんだけど、最近だんだん長くなってきちゃって。気がつくと3時間くらい、いろんなこと考えながら歩いてます。

 これからは「明るく楽しく厳しい部屋」を目指します。師匠として、でっかい「家族」を作りたいんですよね。

(取材・構成 佐藤祥子)