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ジョン・レノンの「イマジン」を抑えて1位に

「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディ29歳の時に発表された作品だ。1999年、イギリスの音楽特別番組「ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム」による企画「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」でジョン・レノンの「イマジン」を抑え、1位に輝いた。「イマジン」を発表した時、ジョンは31歳だった。

「ボヘミアン・ラプソディ」の後も才能の枯渇とは無縁だった。「愛にすべてを」「伝説のチャンピオン」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」「バイシクル・レース」「愛という名の欲望」と80年に向け、豊かな実りを収穫するように佳曲やヒット曲を世に送り出せた大もとの土壌は、71~73年の雌伏の約2年間にあったのではないだろうか。

 なおフレディは「キラー・クイーン」と「ボヘミアン・ラプソディ」で続けざまに英国作曲家協会によるアイヴァー・ノヴェロ賞を受けている。

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「僕が作る曲は消耗品」

 フレディは、しばしば、同じ方程式を繰り返すという退屈なことはしたくない、と発言してきた。毎回、新たな挑戦を続け、変化を恐れなかった。評論家筋からの批判は手も付けられないくらいだったが、ファンたちは、それにワクワクしながらついていったのだ。

フレディ・マーキュリー解体新書』(米原範彦、平凡社新書)

「僕が作る曲は消耗品だと思っているよ」

 フレディは、そんな風に自作曲をとらえていた。おそらくこれは謙遜でも卑下でもないだろう。だからこそ、唯一無二、模倣不可能な「ボヘミアン・ラプソディ」の後も、新たな刺激を求め、感情を動かして名曲を繰り出し続けられたのである。

 ロックの曲は、時代に爪を立てて、ヒットチャートを上がり、あっという間にランクダウンして消えていく。

 ヒットしない場合もある。はかない流行品かもしれない。しかし、時代に深く突き刺さった曲は、半永久的に人々の心に語りかけるのである。このことをフレディはよく分かっていたに違いない。

 筆者は、流行曲と新聞記事は似ていると考えてきた。新聞記事は、掲載時に何人かの目に触れ、評価されたり好悪の意見が噴き出したりするが、1日、いや半日経つと、次の紙面が配布され、朝刊は夕刊に、夕刊は翌日の朝刊に覆われて、あるいは、新聞紙自体が破棄されて記事は消えていく。しかし、強烈なインパクトを与えた記事であれば、半永久的に読者の記憶に残ってゆく。