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悪趣味すれすれを楽しんでいた

 フレディには、自分を揶揄するだけの客観的視点があった。「自分を笑い飛ばすのが好きという性質」だったのだ。70年代の妖精・悪魔物語中の人物のようなエレガントな衣裳も、爪に黒いマニキュアを付けることも、短パン、口ひげで上半身裸の出で立ちも、極端なことは自覚していた。ほら、バカみたいで笑えるだろう、と、まさに露悪的に悪趣味すれすれを楽しんでいた。

 大きな果実を得る時、大きな損失も覚悟しなければならないのが人の世だ。絶頂に達したバンドの次の行き先は極めて重要だった。『ザ・ゲーム』の躍進、81年の初の南米ツアーの開催という具合に地球ごとクイーン・ファンにしてしまおうという勢いを示したが、それは「第2ステージ」が終わりを告げ、「第3ステージ」の幕開けを意味していた。

 フレディ、クイーンにとって初めて方向を見失いつつあったカオスの時代である。

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©getty

「僕ら史上屈指の危険」

 現在までアメリカでのクイーン最大のヒット曲「地獄へ道づれ」は、フレディのブラックミュージックへの傾倒に拍車をかけ、82年のダンス・ファンクモードのアルバム『ホット・スペース』につながっていく。クイーンは次の段階「第3ステージ」に入っていた。

クイーン10枚目のアルバム『ホット・スペース』

 全米最高位11位、全英25位とスマッシュヒットしたフレディの珍曲「ボディ・ランゲージ」のビデオクリップはかなり物議をかもした。ブライアンの「ラス・パラブラス・デ・アモール(愛の言葉)」は全英17位、アルバム発売に先行したデヴィッド・ボウイとの共作「アンダー・プレッシャー」は全英で81年11月21日に1位、全米では29位のスマッシュヒットとなるなど、アルバムは収録曲から見て決して駄作ではなかった。

 1980年に起きたジョン・レノン銃殺事件に、フレディは打撃を受けたが、ようやく事件に向き合って作った「ライフ・イズ・リアル(レノンに捧ぐ)」も収録されていた。しかし、とりわけイギリスの音楽業界では不評で、メンバーもフレディが手掛けたけばけばしいジャケットには辟易したという。

 フレディにも「僕ら史上屈指の危険(リスク)」という認識はあった。筆者もそうだが、従来のファンが距離を置きだしたのもこのアルバムからだ。