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 しかし翌年、再び夫の浮気と借金が発覚。夫の車の中から、借金の督促状が次から次へと見つかる。風俗店やパチンコなどにも頻繁に通っていた夫は、借金が膨らむと義父に泣きつき、何度か肩代わりしてもらっていたのだ。

 別れたはずの愛人数人とも何度か会っていたことがわかり、それを田中さんが問い詰めると、「何が悪い?」と逆ギレ。最終的には、子どもの将来ために貯めていた教育資金にも手を出していることや、親戚や会社から次男の出産祝いをもらっていたにもかかわらず「もらっていない」と嘘をつき、使い込んでいたことがわかると、田中さんは「もう無理だ」と思い、6歳と2歳の息子たちを連れて北海道に帰った。

摂食障害やパニック障害を発症

 田中さんは実家の向かいのマンションで生活を始めた。離婚したい旨を話すと、両親は案の定、反対。母親は、「お前がわがままだったから夫に借金されたんでしょう!」と田中さんを罵倒し、「私が借金を払うから、離婚はダメ!」と頑な。まだ幼い孫たちに父親は、「わがままでどうしようもないお母さんだね?」と同意を求める。

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 世間体を気にするあまり、親戚にすら「離婚のことを話さないように!」「親戚の集まりには出なくていい!」と頭ごなしに命令されるだけでなく、特に母親は、勝手に田中さんの義両親や夫に対し、「娘を許してほしい」「迎えに来てやってほしい」と、ストーカーのように連日連絡をするので、夫は携帯番号を変えたほど。父親は、自分の妹(田中さんにとっての叔母)に、「あいつが離婚を思いとどまるよう、説き伏せてほしい」と頼んだらしく、叔母からも連日電話で説得され、時には車で3時間かけてやってきて執拗に離婚に反対される。

 義父からは、「息子が借金をしたのは、お前が専業主婦にならず、仕事ばかりして家庭をおろそかにしたからだ!」と責められたが、義母は「息子のせいでこんなことになって……」と何度も謝ってくれた。だが、「信仰心をもっと強く持てば救われる」と言われると絶望を覚えた。田中さんにとって、本当の味方はどこにもいなかった。

 田中さんは、夫の浮気と借金が発覚した32歳の頃から、眠れない、食欲がない、不安感が強い、人前に行くのが怖いなどの症状が出ていた。それでも田中さんは、北海道でも保育士として働き始め、北関東で暮らしていた頃と同様、介護施設や障害者施設でも掛け持ちで働くようになった。

 ところが、ついに摂食障害を発症。過食と拒食を繰り返し、過食のときは嘔吐ができず、下剤を大量に飲んで出した。拒食のときは水すらも飲めず、脱水症状を起こした。その後うつ症状がひどくなり、自殺願望が現れ始め、パニック障害の発作で2度救急搬送された。

「このままではまずい」と思った田中さんは、心療内科を受診。医師は、「物理的に両親から離れなさい」と言ったが、仕事もままならないほど心身ともに弱っていた田中さんは、父親に経済的な援助をしてもらっていたため、離れることができなかった。

 そうしたことと並行して、田中さんは、北関東の家庭裁判所で調停を起こした。借金や養育費、親権のことを夫と話し合おうとしたが、当日夫は現れなかった。しばらくすると、会社を経営していた義父が、「長男は初孫の内孫なので、親権が欲しい」と言って来た。すると、それまで頑なに「離婚は認めん!」と言っていた田中さんの両親は激怒。長男を巡って大揉めに揉めて泥沼化し、結局田中さんが離婚できたのは、北海道に帰ってから3年後、36歳のときだった。