子どもを自らの所有物のように扱い、生きづらさなどの負の影響を与える「毒親」。その中でも「毒母と娘」の関係は、目に見える暴力などの形ではなく、精神的で不可視な問題を含むことが多い。
ここでは、ノンフィクションライター旦木瑞穂さんが「毒母」に育てられた8人の当事者に取材し、その毒との向き合い方のヒントを探った『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社)より一部を抜粋。
子ども相手に「おかしくなったフリ」をするなど、常軌を逸した行動をする母親に苦しめられたという三宅桜子さん(仮名・30代)のケースを紹介する。(全2回の2回目/最初から読む)
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女王様のような母親
関東在住、九州地方出身の三宅さんは、実家と母方の祖父母宅と大叔母(祖父の妹)宅が、徒歩30秒ほどの距離に建ち並ぶ田舎町に生まれた。
父親は県の職員、母親は中学の音楽教師で、26歳の頃にお互いの両親の勧めで見合いし、3~4ヶ月の交際を経て結婚。やがて母親は妊娠した。
「母はとてもわがままで子どもっぽく、意地悪で自分のことしか考えない自己中心的な人です」と三宅さんは言う。三宅さんの母方の祖父母や伯父(母の兄)も、「あの子は幼い頃から『美人』だと言われていつもちやほやされて、小さな町のどこに行っても“女王様”だったから、精神的な成長の機会を逃したためにこんな性格になってしまったのではないか」と話しているという。
間もなく三宅さんが誕生しようとしていた臨月、母親の“女王様”のような性格に拍車をかける事件が起こる。父親が交通事故で亡くなってしまったのだ。
「私は、母を現在のような性格にしたのは、もとの性格に加えて、“私の父の死”が大きな要因となったのではないかと考えています。それは、『父の死による心の痛みで母が狂った』という意味ではなく、もともとわがままですべてを自分の思い通りにしなければ気が済まない母が、『配偶者の死』という『それ以上誰も追及できないような言い訳を手に入れた』という意味です。例えば、誰かが母の行いの不当性を指摘すると、必ず母は『最愛の夫を失った私の気持ちがわかるか!』などと『配偶者の死』を持ち出し、相手にそれ以上反論できないようにしてしまうのです……」
三宅さんの父親の死によって、わがままを押し通す最高の言い訳を手に入れた母親は、さらに手に負えない暴君になっていく。生まれたばかりの三宅さんを世話するのはもっぱら母方の祖父母。母親は産休・育休を取得していたにもかかわらず、育児も家事も全くしない。特に祖母は母親から召使いのように扱われていた。
「母に添い寝をしてもらったり、お風呂に入れてもらったりした記憶はありません。側にいてくれたのはいつも祖父母でした。祖父母は夫婦仲が良く、祖父は優しくて何でもできる人でした。祖母は慈愛あふれる物静かで温かい人。また、伯父(母の兄)は気の弱いところはありますが、心根がとても優しい人。母以外は皆、私には普通に見えました」