警察に何千件もの情報が寄せられたが…
マージは刑事に「夕食を食べさせた人を、なぜ45分後に殺害して、トウモロコシ畑に捨てるんでしょうね?」と聞いた。警察はカリ・ドウと一緒にいるところを目撃された、謎に包まれた男性の似顔絵を公開したが、確かな手がかりを得られることはなかった。
一方、死亡現場から発見された銃弾は、北米、あるいは欧州で押収された武器の銃弾とは一致しなかった。土砂降りの雨が法医学的証拠のほとんどを洗い流してしまっていた。
カリ・ドウの衣類と体からDNAの採取は出来なかったが、肩と心臓のあたりにあったビキニとホルタートップの日焼け痕から、彼女がより穏やかな気候の土地から、ニューヨークにやってきたことは推測できた。大臼歯は虫歯だらけだった。
ニューヨーク州ダンズビィルにあるマウント・モリス墓地で行われたカリ・ドウのささやかな葬儀には、地元の住民数名が参列した。墓碑銘には「私たちは忘れない。1979年11月、身元不明の少女。天使の歌声とともに天の休息に向かわれますよう」と書かれていた。
数日、数週間、数ヶ月、そして数年が経過した。FBIはメディアに対する呼びかけを何度か行ったし、アメリカ中の広告板にポスターを掲示し、カリ・ドウの殺人者あるいは、少なくとも悲劇的な死を遂げ、ぬかるみの大地に遺棄された悲劇的な少女の身元へと繫がる情報を誰かがもたらしてくれることを期待した。
しかし、何千件もの情報が寄せられたにもかかわらず、警察はこの恐ろしい事件を解決に導くことはできなかった。そしてカリ・ジェーン・ドウの身元は何十年にもわたって謎に包まれたままだった。
「視覚的に死者を蘇らせる」会計士の正体
しかしそれも、カリ・ドウの検死写真を元に、カールが顔の復元に着手するまでのことだった。16歳の誕生日を迎えてわずか1週間で銃弾に倒れた少女の名前を発見するために、彼がどのような作業を行ったのか聞く前に、私は視覚的に死者を蘇らせるというカールの作品や技術について知りたいと考えた。
カリフォルニア州トランスにあるカールの自宅に行くには8800キロもの大西洋横断飛行が必要なため、独学で犯罪科学アーティストとなった彼には、残念ながら、私のロンドンの寝室からオンラインミーティングで話を伺うことになった。
50代後半のカールは公認会計士として週40時間の仕事をこなしつつ、夜遅くまで調査活動として故人の肖像画を描いている。アマチュアとプロ両方の犯罪撲滅仲間から一目置かれる存在のカールは、同時にウェブスルース・ドットコムにおけるトリシア・グリフィスのモデレーターを務めている(ウェブスルース・ドットコムとはオンラインのディスカッション・フォーラムで犯罪被害者と行方不明者の情報交換の場となっている)。