1ページ目から読む
6/6ページ目
「姪浜」の名前を遡ると見えてくること
この旧筑肥線は、地下鉄と筑肥線の直通運転を開始するにあたって廃止され、現在の高架の線路に切り替えられた。それが1983年のことだ。これで福岡市街地と姪浜の結び付きが強まり、本格的にベッドタウンとしての発展がはじまったのだろう。そして、それ以降海沿いの埋立地にニュータウンや商業施設が生まれてきた。
姪浜の名は、三韓征伐から戻った神功皇后が袙の衣を干したことに由来するという。神話の時代の話なのでこれをまともに受けとることは難しいが、少なくともかなり古い時代から集落があったことは間違いないだろう。
下って江戸時代には唐津街道の宿場町。次いで近代には炭鉱町として市街地化が進み、戦後は地下鉄の開通によってベッドタウンとして飛躍した。
姪浜駅の南口や海沿いの住宅地は、新しい時代の姪浜を象徴するエリアだ。明治通りやその北側にある路地は、江戸時代の唐津街道の名残を留め、そして炭鉱町として栄えた時代の面影も残す。さらに路地の中を歩けば、鎌倉時代の元寇の折に築かれた土塁の跡も残り、海沿いには能古島への渡船場とニュータウン。姪浜は、これまでの歴史のすべてがひとつの町の中に詰まった、重層的なベッドタウンなのである。
写真=鼠入昌史
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。