運命の電話がかかってきた!
爆笑問題が唯一出演していたNHKの音楽番組『メガロックショー』も間もなく終わりました。田中はコンビニでバイトをしていて、いつの間にか「店長候補」と囁かれるほどハマっていました。私も同じコンビニでバイトを始めたのですが、田中の仕事ぶりは見事なものでした。本人もまんざらでもない様子で、「爆笑問題、もう無理なんじゃないかな」なんて言う。これはマズい。私はとても不安になりました。
一方の太田は、家で本を読んだり、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」なんかのテレビゲームを一日中やっていました。稼ぐつもりがなかったわけではないと思うのですが、働く方法が見つからないという感じでした。そうして彼は、あっという間に私のヒモになりました。
私は20歳の時に親に買ってもらった宝石や着物、何かの番組で優勝記念にもらったダイヤモンドなど、お金になりそうなものはすべて質屋に入れました。最後に残ったのは太田に買ってもらった小さなルビーの指輪だけ。
そんな苦しい時期が続いたある日、私たちの命運を分ける1本の電話が鳴ります。それはNHK『メガロックショー』の担当プロデューサーからでした。彼は音楽班から演芸班に異動になっていて、結成10年以下の若手しか出られない『NHK新人演芸大賞』に出てみないか、というのです。
こんなありがたい話はない。けれど、「いまさらネタの賞レースなんて」と太田はこの話を蹴ってしまうのではないかという一抹の不安が過りました。けれど、太田に聞くと、「なんでもやる」と言う。そしてコンビニバイトで忙しく、イマイチ乗り気でない田中を説得したんです。
「みっちゃんがコンビニでバイトを始めたっていうのは大きな転機だった。ちゃんとやらなきゃな、なんとかしなきゃな、って思ったよ。自分に対する情けなさっていうのもあったしね」
太田は後になってそう言っていました。
ちょうどNHK新人演芸大賞と同じ時期に出演のチャンスを掴んだテレビ朝日の『GAHAHAキング爆笑王決定戦』でも、10週勝ち抜けばチャンピオンというルールの中で数週間勝ち抜いていました。この流れに乗れば、もしかしたら爆笑問題は復活できるかもしれない。そんな予感がありました。
結果、NHK新人演芸大賞では大賞を受賞。漫才師としては初の受賞でした。また、GAHAHAのほうも、10週をストレートで勝ち抜き、初代王者としてレギュラー出演も勝ち取ったのです。
こうなってくると、仕事がそれなりに増えてきます。マネジャーが必要ですが、当時の爆笑問題を引き受けてくれる新しい事務所なんてありません。一度ついたマイナス・イメージは簡単に払拭できるものではありません。むしろ業界では一層大ごとになっていて、噂に拍車が掛かっていました。
◇
再ブレイクのきっかけを掴んだ爆笑問題。ここで光代氏は、彼らをもう一度、太田プロに復帰させるという“ウルトラC”に向けて動き出すことになる。だが、掟破りの独立騒動は、ここからとんでもない展開を見せるのだ。
本記事の全文は「文藝春秋」2024年2月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(太田光代氏の連載「お笑い社長繁盛記」第1回)。
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