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 さらには、繊細な筆遣いで髪の流れまで丁寧に描いてあったり、絵具もいいものを使っているのかどんな細部も色艶があって、画面全体が凛としている。商家の奥方、花魁、芸者など身分の異なる女性を髪型や服装で描き分けた《円窓九美人図》は、栄之の技の冴えが存分に味わえる。

鳥文斎栄之《円窓九美人図》1795-96 MOA美術館蔵

武家の血を存分生かして描いた絵

 鳥文斎栄之とその作品がまとっている、真性の品格はどこからくるのか? じつは生まれ育ちからして、文字通り格が違うのだ。祖父が勘定奉行まで務めた旗本・細田家の長男に生まれ、17歳で家督を継いだという富貴な身の上なのである。武士階級しかも上層に位置するのだから、いいものを見慣れているし、教養もしかと身につけている。それが栄之浮世絵の品のよさの源流である。

 絵を描くのが好きだったという時の将軍・徳川家治のもと、栄之は御小納戸役「絵具方」という役目に就く。将軍のお側に仕え、絵にまつわるお世話をする係だ。自身は御用絵師の狩野栄川院典信から絵を学び腕を磨いた。

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 1786年に家治が亡くなったあと、政情が穏やかでなくなったことも手伝ってか、栄之は家督を譲り身分を離れた。野へ下っても絵を描くことからは離れず、浮世絵師に専心してどしどし仕事をこなしていった。門人も多く抱え、レベルの高い一派を築く。代表的な存在は、鳥高斎栄昌か。《若那屋内白露》を見れば、師匠譲りの洗練にユーモアや風刺の鋭い感覚も有していることが窺える。

鳥高斎栄昌《若那屋内白露》1795頃 東京国立博物館蔵

 武士階級時代に培った高尚な美的センスを存分に生かし、栄之は市井の人・場所・事象を描いた。他の絵師とは明らかに異なる作風で独自の地位を確立し、上流階級や知識人から愛されたのだった。浮世絵版画の場合、栄之のそれはいい紙を用い摺り部数を抑え、高級路線で売り出されていたようだ。

 一世を風靡したはずの鳥文斎栄之が現代においてあまり知られていないのは、ひとえに日本に作品がないから。日本の浮世絵は19世紀には早くも欧米で人気を博し、愛好家向けに大量に輸出され続けた。見るからに上質な栄之の作品は評判高く、主だったところはほとんど海外流出してしまった。

 日本で実作が観られる機会が限られていたため、これまで大きく注目されていなかったわけだ。今展では日本初の大規模な鳥文斎栄之の個展と相成る。流出先であるボストン美術館、大英博物館からの里帰り品も多数集まり、おそらくは空前絶後の展覧会である。

 新年気分がほのかに残るうち、訪れてみたい。

INFORMATION

1月6日~3月3日(会期中に展示替えあり)
千葉市美術館
https://www.ccma-net.jp/