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 彼自身はビジネスに全意識が向いていて、とても子どものことを考えられる状況ではありませんでした。そのため、これからシングルマザーとして1人で子どもを育てて行くことを決意したんです。

「この子を生かさなきゃ」1歳前後のときに息子の難病が発覚

――お子さんが生まれてからは、何か心境に変化はありましたか。

蒼川 生まれてからはとにかく「この子を生かさなきゃ」というので精一杯だったので、最初はかわいいという気持ちだったり、愛情だったりとか、そういう感情を持つ余裕がなかったというか。1歳くらいになってようやく「すごく大事な存在」だと思えるようになりました。

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 1歳になるかならないかのとき、息子が先天性赤芽球癆(せんてんせいせきがきゅうろう)という、赤血球が造られない難病であることがわかったんですね。スーパーで知らない女性から「なんかこの子、すごく白いんじゃないか」と言われて、母も「元気がないのが気になるから、病院に行ったら」と言うので検査をしてもらったら、それで発覚して。

――そういう病気があると初めて知りました。

蒼川 私もまったく知らなくって。最初は輸血しかできることがなかったのですが、病状が良くならないのでステロイドの治療に移行したりと、すごく心配でした。

――それは心配ですよね。今は良くなっているんでしょうか。

蒼川 はい、奇跡的だったそうなのですが、今はもう治っています。4歳なのでとにかく動き回りますし、すっごくやんちゃで大変です(笑)。

 

子育てを通して、自分を認めることができたワケ

――シングルマザーで仕事と子育てを両立するとなると、かなり大変だと思いますが……。

蒼川 生まれてから2年くらいは島根の実家に住んでいて、母がサポートしてくれたので、「ワンオペ育児」とは言えないくらい楽をさせてもらったと思っています。孤独をそこまで感じずに済んだのも、母親のおかげですし。

 子どもの病気がいつ治るのか、仕事にはどう復帰するのか、島根で生きるか東京に戻るのか、色々な不安があったので当時の記憶があまりないんですよね。とにかく「子どもを育てなきゃ、生かさなきゃ」と必死だったので。

――蒼川さんは「自分が嫌いだった」とおっしゃっていましたが、出産や子育てを経て、何か価値観に変化はありましたか。